手賀沼を一周してきました!

暮れから正月に掛けてのお神酒でナマッタ身体にカツを入れよう、と思った訳ではありません。また若者たちの箱根駅伝に刺激された訳でもありません。実は・・・・。

昨年11月13日(土)、「手賀沼ふれあいウオーク」に参加し、手賀沼公園から柏ふるさと公園、手賀沼フイッシングセンターを経て再び手賀沼公園に戻る1周21キロメートルコースを歩きました。ウオーキング歴36年の健脚ぶり(?)を試めさんとしたものです。これまで何度も今年こそは、今年こそはと思いつつ果たせなかったのですが、幸い天気も良く、予定もなかったことから実現しました。(写真は、柏側から見た我孫子市の中心街方面)

21キロ3時間10分で歩破(?走ると走破ですが)。どんなもんです!と胸を反らしてみたものの、肝心の手賀沼を楽しむどころか必死の形相ではなかったか、と余裕のなさを反省しました。

そんなこともあって本日(3日)再度トライしたものです。
今回は二つ目的がありました。一つは、前回のコースでは船戸の森を抜け、柏側では手賀の杜住宅地を通り、将門神社から手賀沼遊歩道に戻ると云うように、かなり凹凸のあるコース設定になっていました。そこで単純に沼沿いに歩いた場合の実周は何キロになるのだろう、と考えました。つまらないことを考えたものです。歩幅を83センチ(経験値)として歩数計で距離を算出します。如何にも原始的ですナー。今から210年前、伊能忠敬はもっと科学的な測量をしたと云うのに。

そしてもう一つの目的は、実はこれが本命なのですが・・・。
われわれ我孫子人の多くは手賀沼の景色を、対岸の風景と一体として見、楽しんでおります。そして斜面林が伐採されないように、田圃が工場にならないように、妙な建物や看板が出来ないように、等と願っております。しからば柏の人達からは我孫子はどんな風に見えるのだろうか。われわれは対岸に対して願っている通りのことをやっているのだろうか。
〈写真は、我孫子側から見た手賀の杜住宅地〉

最近、見る風景(景観)・見られる風景(景観)、つまり見る側の論理・見られる側の論理と云うことに関心を持つようになりました。そのことを今回の一周ウオークで確かめてみたい、と思ったのです。

さて如何だったでしょうか。二例の写真はいずれも極端で、すこし意地の悪いショットですが、もう戻りようのない自然の一断面をみせております。20年程前に見たオーストラリア・ブリスベーンの木々の緑と赤茶けた屋根で統一された家並みの素晴らしさを思い出しました。自然と人との調和がもたらす美しさに感動したものでした・・・。

・・・今年は景観を育てる会の発足10周年になるナー。どこか見晴らしの良いところに、記念植樹はどうだろうか。孫が自然豊かな我孫子が好きになり、私よりもはるかに長くこの街に住み続けて欲しいナー、孫に誇れるものを残したいなー、そんな一助にならないだろうか、等と取りとめのないことを考え始めてしまいました。ナマッタ頭は容易に戻りそうになく(イエ、その傾向は以前から家人に指摘されてはいましたが・・・)、難しいことは今度ゆっくり考えよう、とこれまたいつもの思考パターンに戻ってしまいました。
しかしながら、脚はいつの間にかカツが入り、いつもの速足になってしまいました。
我孫子の景観を育てる会の会員は頭ではなく、脚が勝負ですッ!我田引水。ジコチュウ。

所要時間2時間48分、22.068歩、一周18.3キロ となりました。フーッ!

フットワークがいつにも増して期待される年になりそうな予感がして。
毎年正月3日は手賀沼一周の日としよう(新年の誓い)。どなたか証人になりませんか。
(会員:H.S.記)