二月二十六日、三軒茶屋の弘善湯へ行ったけど・・・代わりに見つけたのは

世田谷区の弘善湯に行くつもりで三軒茶屋まで行きました。HPでも不定休とあったのですが、その不安は的中、お休みでした。遠くから銭湯へ来ると、不定休の銭湯は少し困ります。せめて土曜日はお休みが多いとか分かればいいのですが。弘善湯は和風の建物のようですが、高い塀に囲まれているうえに、奥まった玄関の手前に鉄の扉が閉まっているので、中の様子がなかなか伺えません。
弘善湯 世田谷区下馬2−36−15 15:30〜24:30 定休日は不定休 田園都市線三軒茶屋駅徒歩10分

弘善湯には入れなかったのですが、弘善湯の裏手で、大学や集合住宅の建物が並ぶ中に、一軒だけ残っていた古い木造の建物に気づきました。下見板張り、縦長の窓は、典型的な旧陸軍の木造兵舎です。少なくとも70年くらい昔の建物だとおもいますが、あまり改装されていません。全国でもほとんど木造兵舎は残っていないと思うのですが、変化の激しい東京二十三区内に残っているとは意外です。
古い地図では、今の昭和女子大の南側は、第一師団の野砲兵第一連隊があったので、その兵舎だったのでしょう。ふと気づいたのですが、訪れた今日は2月26日です。昭和11年、第一師団などの将校が反乱を起こした二二六事件の日に、兵舎を見つけるというのはちょっと奇遇に感じました。
反乱部隊の主力は今の六本木ヒルズの位置にあった歩兵第一連隊と、国立新美術館の位置にあった歩兵第三連隊で、この兵舎の部隊は反乱に参加していないようです。しかし、野砲兵第一連隊はやがて満州へ移動、太平洋戦争末期にはフィリピン・レイテ島へ、この兵舎に戻ることができた方は、ほとんどいらっしゃらなかったかも知れません。