生きづらさから卒業する 窪 美澄より

卒業式、と聞くと、出られなかった短大の卒業式のことを思い出す
生まれた家は商売をしていたのだけれど父親のこしらえた借金は
瞬く間に膨らみ、あっという間に家業は傾いた
母親は子どもを置いて出て行くし絶望した父親は心中しようとするしで
子どもの私から見ても我が家は「超どん詰まり」状態だった

学校の先生たちにもそんな家の事情を話すことは出来なくて
体も心ももやもやするし『不登校』という言葉もまだなかったけれど
当時の自分は『不登校』で『引きこもり』で勉強も出来ない
本当にどうしようもない生徒だった

それから美術系の短大に入ったが振り返ってみると、この短大の2年間は
そんな自分にとって、とても貴重なリハビリ期間だった
短大に行き始めても『授業料滞納のお知らせ』という手紙は頻繁に来ていて
結局、卒論まで書いたものの卒業はできなかった
出られなかった卒業式のあと、学校に残したままの荷物を引き取りに行った
あーあ、何だかなぁと思いながら歩いていた。泣きはしなかったけれど

親やまわりの誰かが自分の人生を何とかしてくれるはず、と思っていた
子ども時代を、あの日私は卒業した
ずいぶんと乱暴な卒業式だったけれど、ひどく甘えん坊でナマケモノの
自分にとっては、そんな荒療治が必要だったのだと思う

結局、その後、家を出て自分で稼いで自分で食べていくという生活がスタートした
数え切れないくらいの失敗をして何とか生きてきたけれど
親や、環境や、誰かのせいじゃなく、自分の人生に起こったことに
自分で責任をとる生き方は、案外ラクチンで風通しがいいということがわかった

人生には簡単に開くドアとそうじゃないドアが確かにあって
なかなか開かないドアを力まかせに開けようとすると
ときには自分が壊れてしまうこともある
開かないときは、時間をかけて、力をためて、もう1回挑戦するのも
ひとつの方法だ

力の無い子どものうちは親も環境も選べないし、その影響の下でしか
自分の人生が送れないような気にもなる
でも、もし今、生きづらさを感じているなら、そこから自主的に卒業することも出来る
今すぐ、じゃなくても。いつか、きっと。
卒業することで、人間はより自由になれる
人生は子どものころ思っていた以上に、自由で、そして素敵なものなのだ

・・・・・「大人になると大変そう」と思ってる若い人が多いみたいだけど
実は私も大人になり自立するほど自由になるんだと実感しています・・・・・

<ラナンキュラスが花屋の店先で咲いていました>