さくらびレポート322〜卒業制作「夢展2011」を振り返る

櫻ヶ岡中学校の中平です。卒業制作:夢展2011が終了し、もうすぐ一週間。3年生が15時間かけて制作した作品を振り返り、3年間のNスパイラルがどんな効果を与えたのか、今後の改善点は何かを少しずつ考えていこうと思います。

毎年、そうなのですが、生徒のコンセプト、素材、表現方法は本当に多種多様で、作品を鑑賞すると、まるで作者本人と対話しているような感じがする、まさに率直な自己表現ツールとなっていると感じることが多いです。作品のサイズや方法に関係なく、作者である中学生が、自分の世界をそこに表現しているからに他ならず、こういった作者が自由に表現方法を選ぶ美術表現の可能性を感じないわけにはいきません。現代の中学生に合っているということだと思います。

また、本校の中学生は、「3年生になったら卒業制作で自分のやりたいことに挑戦できる」と感じているようです。例えば、写真をご覧ください。あるダンスユニットの曲を流しダンスをするビデオのワンシーンです。学校生活の中でやってみたいけどできなさそうなことを、美術で実際にやってしまっているのです。作者の生徒に「体育のダンスと美術のダンスはどこが違うのか?」と質問したところ、「体育はスポーツで、美術はなりきり表現だ」と言っていました。つまり、中学生本人が、美術としての表現を理解し、どんなことが出来うるのか、ちゃんと考えて制作しているということです。

それは、驚くべきことではないでしょうか。表現しながら、いろいろ考えているのです。

写真は、「最期」という作品。自分の安らかな臨終の場面が夢である、というブラックユーモアたっぷりの立体作品。

紙粘土が主材料であり、表面はアクリル絵の具で塗っています。使っている材料は今までの授業の中で扱ったことがある物ばかりですが、このコンセプトというか、人を驚かすアイデアはどこから生まれてきたのでしょうか。卒業制作という場と時間、環境が与えられたことによって、本来本人が持っていた力が発揮されたのでしょう。

つまり、我々教師は、生徒に教えてあげないと生徒は何もできない、と勘違いしていますが、表現の力の大部分は生徒が昔から持っている力で、それを引き出す環境作りのプロデューサーが美術教師なのではないでしょうか。

今年の作品の中で最も印象に残った作品。

たて180センチのコンパネの表面に自分で紙を貼り、寒い廊下の床にひざまずいて、ずっとペンで音符を書いていた作品。音符は楽譜になり、楽譜がお城になっています。

この作品は、鑑賞した全校生徒に衝撃と感動を与えました。さらに、作者の生徒は、作品撤収の日、徒歩で作品を家に持ち帰りました。感動しました。

通常授業ではなかなか見ることが出来ない姿を、この卒業制作の期間は見ることが出来ます。Nスパイラルの繰り返しと、卒業制作は、やはり切ってはいけないセットなのです。Nスパイラルの3年間で生徒には「美術は自由だ。自分で目的地と行き方を決める力をつける」と言ってきました。「クリエイティブであれ」とも言ってきました。これが、多少伝わっていると嬉しいと思います。

もう少し、この考察は続けていきます。