福島被災地視察報告〜南相馬・相馬・飯舘村

佐野淳也@地球サミット2012Japanです福島から昨晩帰ってまいりました。今回は3泊4日で南相馬市・相馬市・飯舘村の3市町村を回り、それぞれの被災地状況と住民ニーズの聞き取りを行って来ました。

やはり福島でも沿岸部の被害は甚大です。田んぼに船が打ち上げられて散在している状態です。いま、全国から機動隊委員や消防署員などが集まり、遺体の捜索を行っています。

また、津波被害を受けなかった沿岸より内陸にある地域でも、放射能被害を受けています。急性的な症状が出る放射能レベルではないので、具体的な身体疾患などが顕在化しているわけではないのですが、やはり眼にも見えず臭いもしない放射能が日常の中にある、ということから来る不安感やストレスは想像を超えるものがあります。

それでも、福島第1原発から30キロ圏内にある南相馬市内にたくさんの住民の方がいらっしゃるのには驚きました。みなさん、県外避難されていた方も多いのですが、やはり住み慣れぬ土地での避難生活は心身ともに辛く、たとえ放射能があったとしても住み慣れた我が家がいい、ということで市内に戻ってきていらっしゃる方が多くいます。

また、一人暮らしのお年寄りなどは、移動手段もなく、情報もなく、また避難生活に耐えられる体力もなく、原発事故もそのまま自宅に引きこもって残ってらっしゃる方が多くいらっしゃいました。僕も何軒がそうした南相馬市内の一人暮らしお年寄りのお宅を訪問しましたが、70代〜90代の高齢の上に耳が悪かったり、眼が悪かったり、腰が曲がってたりと、この状態で県外避難しても、確実に体調を悪くして、それこそ死期を早めてしまうだろう、という状況でした。

しかし、20キロから30キロの圏内では、こうしたお年寄りが残されているにも関わらず政府により自主避難勧告が出されている状態ですので、民生委員さんや訪問看護婦、ホームヘルパーさんなども多く退避されていて、地域にいない状況です。このあたり、組織的な支援が急がれます。

いっぽうで、「できることなら、住み慣れたこの地域で暮らし続けたい」という声をたくさん聞きました。たとえ放射能被害があったとしても、ふるさとで暮らしたい。このふるさとを復興させたい。みんなで笑顔で暮らしたい。そんな住民のみなさんの声をたくさん聴きました。

まだまだ原発の状況は予断を許しませんが、このふるさとを愛する住民のみなさんの思いを聞くにつけ、なんとかこの福島の沿岸自治体が再生し、放射能の被害を最小限に押さえていく手立てが取れないものかと思います。

また、非常に高い放射線量が測定された飯舘村にも訪問しました。実際には村内では放射線量の値に地域差があり、IAEAの基準でも避難勧告されるレベルの場所もあれば、大丈夫な場所もあり混在しているとのことでした。

そんな中でも、村役場及び村民のみなさんの多くは、「すぐに健康に被害の出るレベルではない」との政府・県のアナウンスを信じて村内に残ってらっしゃいます。「なんとかこの愛する飯舘村を守りたい」という思いはみなさん共通です。

またブランド牛である飯舘牛を育てる酪農家のみなさんもたくさん村内にいらっしゃります。牛を捨てて外に避難することは、生計手段含め生活基盤すべてを失うことになりますので、危険とわかっていても村を出るわけにはいかない方も多くいます。

このあたりの事情は、福島県内の農家や漁業者さんたちとも共通でした。都市住民と違い、こうした「土地」や「海」に根ざす第1次産業のみなさんは、その場所を捨てて外に行くということは、生計手段をまるごと失うことを意味します。そうした土地や海が汚染されたことの意味はとても大きいと思いました。

また事故を起こした福島第1原発の電力はすべて東京電力管内のためのもので、福島県内には一切使われない電力だったことを考えると、私を含め首都圏に住む人間は、みんなこの福島の現状に責任の一端を追っているな、と実感しました。

他にも書きたいことはたくさんありますが、長くなりますのでこのあたりでいったん終えます。

来週8日(金)の19時より、都内にて今回の現地視察の報告会を行いますので、みなさんぜひお越しください。場所が確定ししだい、みなさんにまたアナウンスします。

また今後も継続して、この地震・津波に加え、原発被災及び風評被害という「四重苦」を背負う福島の人びとへの支援を行っていきたいと思っています。

佐野淳也
ツイッター: http://twitter.com/junsloth