この頃、「頑張る」という言葉がよく取り沙汰されます。
特に、「被災者の方や困難に直面している方に対して、頑張れ!という言葉は、酷だ」とか、「何をこれ以上がんばればいいのか・・・」と、いうコメントを頻繁に耳にします。
私自身も、被災地の出身ではあっても、今現在、不自由な生活や不安な日々を強いられているわけではないので、日本国内では、どちらかといえば「がんばって」と言われる側ではなく、言う側なのだと自覚して、あまり「がんばって」を使わないようにしていました。
そんな中、今朝、7時過ぎに、嬉しい電話から色々なことを気づかされ、勇気づけられました。
先日訪ねたふるさと名取の幼馴染のSくん(幼稚園時代からの呼び名です)からの電話です。その内容は、今夜4月8日(土)夜9時からのNHKスペシャルに出るから、観てね!!というものでした。
Sくんの自宅そのものは、津波の被害はなかったものの、彼は、稲作と野菜、特にせりの生産で有名な、名取市の農業者です。先日訪問した時の電話の声からは、「今年の作付はどうなるか・・・と」不安な表情が伺えました。それから数日後の今朝、電話越しに聞いた声は、とても明るく弾んでいました。
そして彼は言いました。「ガンバルヨ!!」と。
思わず私は「ガンバッテ!!」と返しました。
その瞬間、「がんばる」という言葉はなんと温かい言葉なのだろうと感じたのです。
Sくんの「ガンバルヨ」に共鳴して「ガンバッテ」という言葉が自然に引き出されました。そして私の心には、爽やかで力強い風が吹くのを感じました。「勇気」は湧いてくるというより、どこからか風が運んで来て、心が深呼吸して宿る。そんな感覚をおぼえました。
つまるところ、「がんばって」という言葉の問題は、ことばの意味そのものというよりは、それを口にする時の人の気持ち、「こころ」の問題にあるのではと感じています。
この瞬間に、ふと蘇った記憶があります。宮澤賢治の詩の朗読で有名な女優の長岡輝子さん(おしんのおばあちゃん役だった方)が30年ぐらい前のNHK教育番組「シリーズ授業」の中で、「雨ニモマケズ」を朗読する際に、彼女の母校、岩手大学付属小学校の6年生の前で話した場面です。
「この詩は、賢治さんの心の中でなっていた音なの。その音を文字にしたものがこの詩なの。だから、雨にも負けず風にも負けず!なんて力強く読むんじゃありませんよ。もうすぐ力尽きて命が果ててしまう賢治さんは、この詩を、御念仏のようにそっと書とめたのだから、そういう祈りのような気持ちで読むんですよ。」
「ことばとは心の中で鳴っている音なのだ」
この一言が私の心によみがえりました。
そして、「ことば」は「こころ」。だから「ガンバル」という言葉に心が宿っている時、本当に人はその「こころ」によって励まされ、元気を取り戻し、勇気を持って前に歩けるのだ。そんな風に気づかされた電話の一言でした。
ことばを口にする時は、優しい「こころ」、明るい、まあるい「こころ」で大切に話したい・・・。
「歌はこころだから、歌うのでなく、ことばを言いなさい」と繰り返し教えてくださる恩師の「ことば」を胸に、これらからも、地域での音楽活動を
「がんばります!!」
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