逃げてるままの危機感をもちながらーー藤岡亜美

みなさん

アースデイに来日する、アンニャからのメッセージ、大事にしたいと思いました。私は参加できなかった高円寺や他の地域でのデモの報告、希望をみた気がしました。
昨日の小野寺さんの大事な会、参加できずに残念でした。田んぼ再建、とてもすてきです。アースデイ前日に戻り、火曜夜に宮崎に戻ります。アースデイ前後でみんなとできることを話し合いたいです。とくに、福島の子どもたちに関して、どう動けばいいのか、みんなの情報を聞きたいです。

今、赤いハチドリの本に出て来る自給率90%(!)のかもうさん夫妻にお世話になり、4/1にOPENした(うちの尚くんがお手伝いして庭を蘇らせた!)もちなが邸というスローカフェの隣に家を借りて住んでいます。幼稚園と保育園、助産師さんや、こちらに居る若者たちともつながることができました。

6月に出産を控えているので、地震直後、すぐに移動をはじめ、子ども2人とパートナーとで、ここにきました。震災の翌日、地震と津波と原発のことを、むすびに(率直に話そうと思うぶん、怖さを半減したかったのか)、ちょっとかわいい日本地図にかいて説明しました。最後に「この電気の作り方はとても危なくて絶対やっちゃだめなやり方だから、もう変えなければいけないんだ。

そんな仕組みにしててごめんね。これから、かあちゃんたちもがんばるから、むすびが大人になる頃には、ぜんぶ違うやり方にしようね。」と話すと、「うん。分かった。」と強い口調で言ったあと、一瞬考えたうちの娘は、

「でも、それは一人じゃできないから、ユイにもリオにもミウにも (友だち)手伝ってもらう。いっそう(弟)にも。」と付け足しました。ちょっとはっとしました。「そこが一番大事なポイントだ」 と思いました。

そして、そのとりくみを、まず私たちが本気ではじめなくちゃいけない。もしかすると、今が世界で、その最後のチャンスなような気がします。

震災以来、幼稚園のママ友たちに、水を送ったり田中優さんの講演会にいってもらったりしながら(子どもたちそれぞれが属する園のPTAと話し合って自分の子どもだけじゃないみーんなの安全を作ることも大事だと思ったけど、私はいまそれができないと判断したので)、電話でいろんなことを話すようになりました。わたしたちにできることは、「こんな危険な目にあうくらいなら、もっと少ない電気で生きていきたい」「経済よりも、まずいのちを大事にできる国(コミュニティ)をつ くりなおしたい」という、今までよりもずっと多様で、心からの声を、あつめて、形にしてゆくことだと思います。

そして、アンニャが言うような「本能」に従って、自分たちの生き方と社会を作り直していける人たちを増やす、フェアトレードを通して、エクアドルのみんなに学び続けてきたはずなのに、実際に形にしてこれなかったことでもあります。

震災後、しばらくは、情報が全く不透明で、政府も東電も、そのシステムを受け入れてきた私たちも、原発について何も分からないんだ、ということが、嫌というほどわかりました。今も余談を許さないことしか、分かんないですが。そして分からないのに受け入れて使ってきた電気のせいで、海や土が汚染されていくのが悔しく、もっと近くに住んでる人は沢山居ると分かっていても、地元の水や空気、いのちを疑わなくちゃならないことの悲しさに絶望しそうでした。

いろんな人たちががんばって、複数の放射線量なども公表されるようになり、少しずつは、状況が分かってきました。4月の頭に、5日ほど東京に戻って、仕事の段取りをしました。
「情報隠し」だけは嫌だったから、自分の得ている原発の情報を、みんなにも共有するところから伝達しました。会社として一番弱虫でもいいから、それぞれの「本能」で判断できる状況にしておきたいと思います。
もちろん、様々な工夫をしてお客さんに向き合い、例年の販売量を落とさない工夫はしないといけないけれど、それはいくらでもいろんなやりかたがあって、ずっと続けていくためにも、変化する必要があるかもしれない。

いつでも避難してきて、というメッセージをくれたインタグをはじめとして、「みんなの命を守ることを最優先するべきだよ」と、何より、作り手のみんなが言ってくれるはずという感覚も、フェアトレードだと思いました。なんとか生産量もあまり減らさずに、こんな中でパルシステムの方がサリナスにむかってくださったり、関西方面で大きな売り場が作れたり、これから決算作業、なんとかやっています。

家族と話し、子どもと一緒に保育園や幼稚園の先生に会ったり、支援物資を発送したり、家の電気をストップしたり、期日前投票をして東京を出てきました。支援物資送付、武術をやっているお友だちが早稲田の講師の人と東北に行くことから立ち上げた『ふんばろう東北プロジェクト』というのがおすすめです。
春物衣料などが必要になってきたようです。http://fumbaro.org/

東京でも地面のほうは大分高い数値が出ているみたいだけれど、放射能の影響は、食べものや免疫や、受け取る側のあり様にもよるだろうし、ただこわいものというよりも、もう少しホリスティックにみることができる気がしました。最初は、放射能が怖いと思って逃げ出したんだけど、命を最優先に考えることができない人たちが、情報を握っているという状況が一番怖いとだんだん分かりました。

どこからどこまで、と、線をひけるわけではないし、逃げる所なんて結局、世界の何処にもないのかもしれないけれど、九州まできて、都城でかもうさんたちにお世話になりはじめたら、私たちは、自分たちが容認してきた社会やシステムからも逃げてるんだと、思えてきました。じぶんの手でつくれないこと。

地域と根をはっていないこと。原発と同じ危うさをもったいろんなことに対して、今みんなが変わらないと、もう世界が終わる気がします。そう思ったら、まだ戻れないし、逃げてるままの危機感でいるほうがしっくりきます。

出産後はしばらく動けないことも考え(なぜか東京での診断だと自宅出産が難しいと言われ、こっちだとOKだった、という不思議も手伝って)、それまでのあいだは、必要なときは何度か東京に通いながら、こちらを拠点に、例えば、エクアドルに3ヶ月行ったのと同じように、これからの生き方を学びたいと思っています。みんなが首都圏から散らばることも大事なので、その可能性も想定しながら。

先日は、3/11以降、原発設置にむけての住民投票が撤回された、県南の串間まで行ってきました。日本ではじめて、市民が太陽光パネルの電気を作って売る発電所が作られた場所でもあります。
尚くんは木の農業にとても興味をもっています。地元のメンバーが集うお花見のとき、みんなの本音のなかに「福島の事故に助けられた」ということもあることが分かりました。それはあるめんであたっていて、これをきっかけに、全廃に向かわなければ、もう他にチャンスはないんだと思います。今回の事故で犠牲になった方への鎮魂も、それなしにはあり得ないはずです。

そして、この間、放射能漏れを通して、辻さんのいうように「レントゲンみたいにみえてしまった」のは、原発だけではない。経済効率をいのちよりも優先しているこのシステムが、今も、何処かで、いのちのつながりを急速に壊している。その状況を変えるために、脱原発の声をあつめると同時に、それぞれのコミュニティが、いのちを大事にすることを根っこにした、新しい経済を、大分覚悟してつくっていかなくちゃいけないと思います。そのために、わたしたちみんなが、挑戦する必要があると思ってます。

週末は、もちなが邸から霧島コーヒーと、串間の日向夏とサリナスチョコのクッキーをもっていきます!もちろん、水筒ホルダーも大 量に!みなさんとはなせるのを楽しみにしてます。

藤岡亜美