まだ1メートルを超える雪が残る塩谷集落を訪ねました。ここは、2004年中越地震からの復興でユニークな活動を展開され、現在は、「塩谷分校」という会を作って、田植えなど学生さんを含む多くの方々との交流を続けておられます。また、兵庫県佐用町水害救援活動をはじめいつもNVNADの活動にご寄付を頂いて参りました。塩谷にも福島からの避難者が滞在されると聞いて、NVNADからもお手伝いをさせて頂こうとして参りました(ブログ参照)。結果的に、滞在されることはありませんでしたが、集落の方々は、口々に福島から避難されてきた方々を心配されていました。また、福島に限らず、東日本大震災で被災された方々に向けて、何かしたいという声−「塩谷産の何かを届けたい」、「炊き出しとか泥出しとかに行きたい」−があちらこちらで聞かれました。

塩谷分校定例会に参加しました。年間日程や、新年度人事を決めましたが、東日本大震災救援に関しましては、以下の3点を提案させて頂きました。
 1.小千谷に来られた避難者と2次避難所で炊き出し等を通じて交流する
 2.田植えなど分校行事にお誘いする
 3.NVNADの野田村支援に合流し、中越KOBE合同で支援活動をする
どれも賛同を得ました。田植えは5月末の予定です。例年、関西学院大学や大阪大学の学生さんも参加してきましたが、今年は福島の皆様にもご参加頂き、田植えを通して交流できればと企画が具体化しそうです。また、NVNADとしましては、西宮から新潟を経由して岩手野田村へと走るボランティアバスをうまく調整し、新潟の皆様と一緒に岩手野田村での活動ができるよう企画も考えて行きたいと思います。

実は、塩谷と岩手県野田村を含む地域とは、長くて深いお付き合いがあります。小千谷市は、越後闘牛の地です。闘牛の牛は、野田村に隣接する久慈市で育てられています。2004年中越地震の時には、牛を久慈市で預かってもらいました。また、越後闘牛が行われるときには、久慈市から訪問されています。昔、野田村などで作った塩を牛にのせて山を歩き、中越まで到達すると、そこで牛も売って帰った、その牛が、闘牛の起源だという話もあります。今回、小千谷の闘牛会のメンバーが久慈市へと救援に向かわれたそうです。そこでは、「隣の野田村が大変だから、野田村の支援をお願いする」と言われたとのことです。闘牛会の皆様とも一緒に野田村に向かうことができれば、さらに想いのこもった活動が展開できそうです。今回の塩谷訪問中には、細かな打ち合わせはできませんでしたが、闘牛会に関わっておられる方々に、今後の連携についてお願いをして帰ってきました。