ぼーっと眺めてみる。 お遍路さんの後に・・・。

たった3日間やったけど、

とりあえず、歩きお遍路さんは、17番まで終りました。

今は、軽い腰の痛みと、足のマメ(右の薬指)の痛み、

そして足の筋肉痛が・・・。

何日か旅をして自宅に戻ってくると

「やっぱり家(八尾)がええわー(%笑う女%)(%ハート%)」って

心底思うんですが、今回は違います。

「ああ、またすぐにお遍路道に戻りたい(%ニヤ女%)(%ハート%)」

よしこちゃん、ますます、『お遍路病』です(笑)。

お遍路旅に行く前、ふっと父方の祖母が

生前お遍路さんに回って作ったという掛軸を

壁に飾ってみました(左のもの。右のは西国33箇所です)。

この掛軸は、ご縁あって、私の手元にやってきました。

おばあちゃんは、私が高校一年の時に死ぬまで、母屋に住んでいて、

長男のおっちゃんファミリーと同居していました。

私の父は三男なので、近所に家を建てて

(土地は、おじいちゃん・おばあちゃんのものでした)

住んでいました。(現在進行中)

ってことで、おばあちゃんと同居していた

いとこのおねえちゃんたちと比べて

圧倒的に、おばあちゃんとの思い出や

コミュニケーションは希薄だったのですが、

今、こうしておばあちゃんの掛軸を、ぼーっと眺めながら

おばあちゃんが生前、どのような思いで

この掛軸を眺めていたのか?

どんな思いでお遍路さんに回っていた・・・生きていたのか?

そんなこと、考えておりますと、

死んで20年弱経っても、今なお、強い「つながり」を感じます。

そして、私をお遍路に導いてくれた

おばあちゃんに、心の底から、感謝するのでした。

今日、家の回りのゴミ拾いをしてますと、

向かいにある自動車整備工場のおにいさんが

声をかけてこられました。

「今日もゴミ拾い、ありがとう!

ところで、何日か前、よしこちゃんが杖ついて出て行ったのが見えたけど、

西国さん回ってるん?」と聞かれ、

「西国さんではく、お四国さん・88ヵ所の方ですよ。」と言いますと、

「えらいええことしてまんなー!

実は、ボクの父も、生前、西国さんやけど、回ってたわ!」と

おっしゃりました。

そのおにいさん、ちょっと前に、そのおとうさんを

亡くされたのでした。

こうやって、私がなぜお遍路さんしているか?

お遍路さんのよさ・すばらしさを直感的に肌で分かって下さる方が

こんなに身近に、また一人、おられることに

深く感謝、感謝でした(%ニコ女%)(%音符1%)

1200キロを歩くなんて、尋常でないことだと

今までは思っていました。

人間ができることでもないと思っていました。

だけど、ご縁あって、スタートラインに立ち、

やりはじめてみると

不思議と、もうゴールは見えています。

ほんと、スタートラインに立った瞬間、

私の「できない」「絶対無理」という否定的な脳の思考が

「できる」「絶対やれる」という大肯定的脳の思考に変わりました。

きっと、人間の脳って、意外とそんなにタンジュンに

ぱっ☆と180度切り替えが出来るもんだと体験しました。

そして、人間のその「脳(思考の仕方・物事の捉え方)」によって

全ての、その人の人生って決まっていくんだとも思いました。

つまり、人間の人生とは、「その人の思うようになる」ということです。

誰がどうこう考えて、誰がどうこうしたから、

自分も変わっていく、引きずられていくというものではないのです。

今、総理大臣を辞任する・しないとおっしゃってはる

菅さんは、ご自身が歩きお遍路された際、

「体感体得」

というお言葉を記されていました。

誰が言っていた、ではなく、

自分自身が、「体感体得」した世界に

私はお遍路旅のおかげで今、入ったような気がしています。

私の人生の主役は、えらい人でも金持ちでも、彼氏でも彼女でもない、

自分自身なのです。

だから私はこれからも、「大橋良子道」を極めて参ります。

誰が何と言おうとも・・・。

これは誰にも邪魔されない、邪魔させない世界です。

おかげさまで、私はもうぶれません。どっしり肚(はら)、くくっています。

また私は、四国遍路とは、「苦難の先取り」だとも捉えています。

愚かな人間なものですから、

次から次へとトラブル(苦難)がやってきます。

足がいたい、道に迷う・・・などなど。

何度か、そんな苦難を抱え、それを解決させますと

その苦難は二度と来なくなります。

お遍路旅で起こることと、大阪での実生活で起こることは

全て根っこは同じ苦難です。

それは何故か?

それは、同じ、『大橋良子という人間』だからです。

お遍路道で、しょっちゅう道に迷っている人間は、

人生でもしょっちゅう道に迷うのです。

だから、お遍路道で起こった苦難とちゃんと正面切って捉え、

「どうすれば二度と同じ苦難は来なくなるか?」しっかり検証し

思考形態や行動、習慣を変え、試行錯誤の末、

その苦難を乗り越えると、

実生活でも、同じ苦難はやって来なくなります。

この現象を私は先述の「苦難の先取り」と呼んでいます。

苦難とは、ある日突然やって来るというイメージがありますが、

私の場合、苦難とは、

「よし、じゃー今から、苦難を味わいに行くぞ!」と覚悟を持って

それに向かって飛び込んでいくという感じです。

そんだけ、覚悟を持って苦難に挑んでも、

時として、想定外の別の苦難が突如、襲ってくる時もあります。

が、普段から「苦難の先取り」をする練習を鍛錬しておりますと、

いきなり別の方向から、別の苦難が来ても、

意外とすんなり、かわしたり、対処できたり出来るようになります。

つまり、深刻化・悪化しないで、すぐ元通りの路線に戻って来るかんじです。

このような苦難が比較的すんなり解決するようになるとどうなるか?

心に余裕が出来、人の苦難や「罪」をなんとか解決・浄化したいと

思えるようになります。

その方法の一つが、私にとっては「ごみ拾い」であり

「ボランティア」であります。

不思議なもので、心の余裕があり、困っている誰かのために

せっせと曲がりなりにもやっておりますと、

向かいの整備工場のおにいさんのように、

私のことをいいように言って頂く方が増え、

逆に、私の足を引っ張る人がいなくなりました。

人間の殆どのストレス(=不足不満の心)の源は「人間関係」から

来ているといわれています。

私はこの「人間関係」のトラブルがないんです。

これが、今の私のもっともありがたいことなんです。

これからも、四国遍路で掴んだ

人生の上手な渡り歩き方に、更に磨きを上げるべく、

実生活、そして四国遍路道での行に励みたいと思います。

ほんと、何度も申しますが、

この四国遍路道に導いてくれた、おばあちゃんに「ありがとう」です。

私がこの世を去った時、おばあちゃんに、

天国で、100点満点をもらえるように

がんばりたいです(%笑う女%)(%王冠%)