あれから3カ月〜雨模様の空を見上げて〜

みなさん、こんにちは!

今日は6月11日。震災からちょうど3カ月。

石巻の友人から早朝に届いたメールによると、現地はものすごい雷雨とのこと。

瓦礫の山、戦後の焼け野原とみまがうような変わり果てた町並み、汚泥と異臭。
復興に向けての新しい動きはあるものの、やはり失ったものの大きさに打ちひしがれながら、それでも、日々懸命に力強く生きている友たちに、メールでの近況報告によって励まされ、衿を正されるこの頃です。

原発の問題も本当に理不尽であり、悲惨です。もしも自分が計画的避難地域の住民だったとしたら・・・と考えただけでも、現在避難中の何千という人々の状況に胸が痛み、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。犠牲になられている方々の苦しみの上に、私は生かされ、日々を送っていることに、何とも言えない痛みを感じます。

ゆうべ日比谷でのチャリティー映画会に古い友人と一緒に観に行ってきました。
上映されたのは、「小さな命が呼ぶとき」というハリソンフォード出演の映画でした。3人の子どものうち2人が「ポンぺ病」という、平均寿命9歳とされる難病に冒されていることに心が折れそうになっている父親が、この病気の治療薬開発のために、仕事を辞め、財団を創り、研究者や企業家に働きかけて製薬会社を興し、自分の子どもはもちろん、病気に苦しむ子どもや家族への希望となる新薬を開発するという、実話をもとにした映画でした。

地味な映画ですが、父親と母親役の俳優の演技が素晴らしく、子どもたちの命が奪われそうになる度のやりきれない気持ち、新薬の臨床実験がおこなわれることになった時の深い喜びなど、愛する人への切実な想いがひしひしと伝わってくる映画でした。

愛する人に生きていて欲しい、できれば、明るく毎日を過ごして欲しいという願いは、人の欲するものの中で、きっと誰にも共通する、最たる切実な願いではないでしょうか。その願いを強く持つことと行動すること、決してあきらめないことが、この製薬会社を立ち上げた父親のように世界を変えていくのだと、そしてそれは特別な才能のある人ではなく、普通の、名もない人間こそができることなのだと強く思わされました。

この震災で行方が分からないままの家族を探し続けている方々、避難先で先の見えない生活の中でじっと耐えている方々、原発事故収束のために日夜働いている何千という作業員の方々とそのご家族、被災地復興のために日々の役割に徹している何万という方々。

想いを広げていけば、そのような苦境の中で逞しく生きている人々と、心の中で繋がろうとすれば、そのつながりは大きなエネルギーになって、この国を、世界を変えて行く力になるに違いないと感じています。

この震災をきっかけに、世界中で、国を追われている人々、貧困にあえいでいる人々、暴力や搾取の中で生き延びることに必死な人々、助けを求めながら孤独の中で「今」を生きている人が、夥しい数に上ることに本当の意味で心を向けていなかった自分に気づきます。今日の雨のように、これまで沢山の涙が流されて、その涙が、次の命を支え、励まし、生かしてくれている、そんなことさえ考えます。

だから、小さなことで怒ったり、くよくよしている場合ではない。つまらないことで争ったり人を責めたりする癖がでてきたら、自分を戒めて、これからどんな社会を創りたいのか、何に貢献したいのか、それをはっきりと描くことに時間を使いたい、そんなふうにも考えます。

無関心でいること、知らないでいること、忘れてしまうことの無責任さを自覚しつつ、地球上で生きている人々と手をつないで生きている気持ちになって、日々の暮らしを謙虚に続けていきたい。そんなふうに今朝は思いながら、雨模様の東京の空を見上げています。

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