「大坂」 歴史探訪まちあるき 3

「松島新地」を見学。

(以前、「飛田新地」も見学しましたが、そこほどではない)

午後3時くらいでも、お店は何件か開いていて、

独特のピンク色のライトに照らされた

綺麗&セクシーな格好をしたおねえさまが輝いておられました。

昔は、貧しい家の親が、娘を売り、

買春をさせられていたりとまー、女性の嘆き声が

耳の奥から聞こえてきそうな場所ですが、

今は、一気に高額なお金を手にしたい、女性のたむろ場のよう。

見た目とても綺麗ですが、瞳の奥はブラックホールのように

光を吸い取って、永久に光放たない世界があるようでした。

かつて、この遊郭をなくそう!と活動したのは

林歌子女史(1864〜1946)

この林さんのお話も、感動、感動でした。。。

こんな女性のために、がんばった先人がおられる

からこそ、今の私たち女性の自由や権利があるんですよね。

今は、歴史の水面下に隠れている林女史のような

素晴らしい先人達のために、私たち女性は

さらなる幸福を掴まなければなりませんね。

んでもって、大阪市立九条東小学校の前にある

碑を見ました。

中央に書かれている絵は、

学校の先生が生徒を守っている絵です。

昭和9年の室戸台風で、木造校舎だった

あっちこっちの小学校の170校が崩壊、550人が亡くなる

大災害となりました。

それ以後、学校は、コンクリート&鉄筋で作るように

どんどんなっていったとのこと。

ある時点で起こった「失敗」を教訓に

それ以後の人たちの命が救われる・・・。

つまり、亡くなった命の土台の上に、

生かされている命があるということです。

ほんと、日頃、まちをふらーっと歩いていても

全然分からないことに、気づかされまくりです。

「源兵衛渡」(げんぺいわたし)という

一風変わった交差点に来ました。

そこには謎のエレベーターが・・・。

そこに入って15メートルくらい下ると

なんだかめっちゃ涼しい地下道があり、

またエレベータがあり、上がりました(%ニコ女%)(%音符1%)

んでもって、西俣さんの説明なのですが、

安治川を渡ったんだそうです。

川を橋で渡るのは一般的ですが、

地下道で渡るというのは、めっちゃ斬新ですね!!!

斬新といっても、結構レトロ・・・。

昭和10年につくりはじめ、昭和19年に完成したんだそうで、

今でも一日2500人が使っているそうです。

橋をかければいいのですが、

日立造船など、大きな船が通る場所ですので、

橋はかけれない・・・。

しかも産業革命以後、どんどん工場が増え、

渡し舟だけでは対応できなくなって、それで作ったんだそうです。

そしてあと重要な理由が一つ。

先ほど書きました、大坂城公園から続く武器などを運ぶルートにも

この道がなっており、それで人が乗り降りできるエレベーターと

車が二台乗り降りできるエレベーターが完成したそうです。

(車のエレベーターは老朽化のため、昭和52年に通行止めに)

ちなみに、この地下道の上に走る安治川も

かつて大洪水に悩まされていて、

江戸時代に治水工事・大改修をしたそうです。

「『安』らかに『治』まってください」

そんな先人達の願いが込められているとのことです。

JR環状線の西九条駅につき、

ほっと休憩・・・いよいよ足が痛くなってきました(%痛い女%)が

もうひとがんばりです!

で、阪神なんば線・千鳥橋駅そばの

かなりレトロな「森巣橋商店街」を抜け、川を渡ると・・・

橋の下にあるべき、水がない・・・???

どうやら、この川の下に

阪神高速の新しい道を作るそうで、

道を作った後は、また埋め戻し、川にして

綺麗な桜並木にするんだそうです。

今の土木技術って、ほんと、すごいですね(%笑う女%)(%ハート%)

ちなみに、この地域、産業革命以後、

工場からの公害問題でずーっと

苦しんできた歴史があるので、

今回の高速道路も、このようなカタチ

(大気汚染も騒音もないカタチ)になったんだそうです。

<つづく>