ボランティアバス第1便、陸前高田市での活動報告

●参加者は26名。津市役所を16日午後7時に出発し、14時間の移動を経て17日午前9時45分に陸前高田市災害ボランティアセンターに到着。
そこで場所の指示を受け活動場所にバスで移動しました。

●1日目の活動
無惨な痕跡を見せる陸前高田市街を抜け約40分。市街周辺の村落沿いの堤防に散乱した瓦礫の除去と、側溝の掃除です。
側溝は、流れこんだ海水が腐っており、大変な悪臭を放っています。その側溝から瓦礫を取り出し、重機が運び易いように堤防沿いに並べておく仕事です。さすが、26人の威力はたいしたもので、かなりの量の瓦礫を掃除することができました。

●活動終了後、活動報告
午後3時で作業は終了。(これは陸前高田市災害ボランティアセンターの決定したルールで、安全確保のために決めれています)
その後、陸前高田市災害ボランティアセンターに戻り、借用した一輪車を洗って返却。同時に、活動報告をします。活動報告は、単に書類を提出するのではなく、ボラ本部のスタッフに活動報告書と共に、口頭でも説明します。私たちの活動した場所周辺は、まだまだ継続的な活動が必要なので、明日別のグループが活動できるように、情報をリレー方式で引き継いでいくわけです。同時に、作業における安全に配慮する点について私たちの気づいた点も申し送りました。

●入浴、夕食、宿泊
午後5時には、被災地から1時間ほど離れた住田町の『遊林ランド種山』という町営の観光施設に到着し、ここで入浴と食事です。
嬉しいことに、入浴と食事には『ボランティア割引』が準備され、入浴とジンギスカンがセットで、通常1700円のところ、何と1000円という破格の待遇です。(住田町基地の発行する割引券が必要です)
食事後は、宿舎に移動。宿泊は同じく住田町の以前は小学校で、現在は地域の公民館として使われている建物が、ボランティアの宿舎として『住田町基地』と名付けられ、無料開放されています。
各地から来ているボランティアとの交流の機会もあります。私たちは、以前教室だった黒板付きの部屋で、寝袋で寝ます。講堂なので、雑魚寝状態ですが、これなら多くの宿泊者を無理なく受け入れることができるという訳です。

●2日目の作業
翌日は午前9時に災害ボランティアセンターを出発。陸前高田市広田町の地域との指示で、昨日とは違う場所です。40分ほどバスで移動し、午前10時頃から地域の墓地とその周辺に散乱したガレキの撤去作業にあたりました。
作業の指示をしていただいた地区の代表の方の話では、70戸の集落で40戸が被災し、10人の方が亡くなられたとの事でした。
被災後100日を経過しても、家のあったらしい場所にはバラバラになった木材等が散乱しています。墓地も墓石が基盤ごと移動し、木片や金属片、電線が一面に散乱しています。
『津波の被害』のすさまじさを実感すると同時に、おそらく片づけなければと思いながらもその気力さえ出ないであろう地域の方のつらさ、無念さを感じました。
あまりの惨状に、その地域に方に『がんばってください』などとは、とても言えるものではありませんでした。その方から、『この被災地の様子をぜひ、皆様に伝えてください』と4枚の写真を託されました。
その代表の方は、「被災以来まだ一度も住民が集まった事が無い」との事です。
被災されたみなさんは、まだまだ被災以来の混乱状況の中におられるようでした。

●瓦礫の山を道一本挟むと、青々した芝生の家が
広田地区での活動の帰り、バスから見える光景に目を疑いました。津波の被害の広がる道路の反対側に、ゴルフ場付きの家があり、芝生は青々としているのです。津波という災害は、被害を受けた場所と、受けなかった場所の差は大きく、このギャップから地域に大きな軋轢が生じるのでは無いかとの思いを持ちました。

●ボランティアは必要とされているのか?
「まだまだ継続的な支援が必要」これが、ボラバスに参加し現地を体験した者のすべてに共通する感想でした。

今回、『災害ボランティア初心者でも参加できる』と呼びかけましたが、これは、50分作業すれば10分休む、作業後にきちんと入浴と食事ができたことで確保できたと思っています。さらに、第2便にも、このノウハウを生かしていきたいと思います。
悲惨な被災地を見ながらも、初対面の者同士が力を合わせて活動し、ほんの少しではあるが、地域の復興を具体的に支援できたという事は、今後に向け大変役立つものだと思っています。