優しい心で話しましょう☆(*^_^*)☆

おはようございます!!(*^_^*)

今日もお元気ですか?

さて、今日のタイトル「優しい心で話しましょう」は、20数年前に自分で考えて家の中のテレビの脇に手書きで書いてしばらく貼っていた標語なんです。

「優しい言葉を話しましょう」ではなく「優しく話しましょう」でもなく

「優しい心で」というところにこだわっていたことを、今朝思いだしました。

文字面はどうであれ、それが優しい心から発したものなのか、そうでないかは、その言葉が発せられた時の言葉の温度、温かさで分かるものです。

そしてそれは、無言の時でさえわかってしまう。

涙の独立記念日で始まった初めてのアメリカ語学留学の際にも、自分が人種差別されていると感じたのは、英語を聴きとれた時ではありませんでした。

屋台で何かを買った時、「ああこれが差別というものか」と、相手の表情と目と佇まいから直感的にわかってしまいました。

それまでの人生の中では出くわしたことのない、不当な侮辱的な体験。

私は今、見下され、忌み嫌われたのだ、と思った瞬間の驚き。

だから口でなんと言うかではない。心が何と言っているか。心でなっている音がどんな音なのか。それが波動となって伝わることを実感したのも30数年前のアメリカでの生活でした。

人と仲良くするためには、好かれようとする前に、自分から優しい心を向けることが大切なのだと知ったあの30数年前に、きっとこの標語

「優しいこころで話しましょう」

の種が蒔かれたのだ、と今朝気づきました。

人と接する時は、「今、自分は優しいこころでいるかな?」と自問したいと思います。

ちょうど、コンパクトを開いてお化粧の崩れを直したり、鏡の前で身じまいを正すように、「こころじまい」を整えることって大切なのだなあと感じています。

それは家族に対しても、友人に対しても、見知らぬ人に対しても。

30数年前に人種差別を受けたことが、今こうして役に立っていることに、深い感慨を覚えます。

一生懸命頭で覚えたことって、いつのまにか記憶から無くなって行きますが、心が動いた場面や自分で気づいたこと、深く印象に残った一言などは、こうして生き続けるものなのですね。

今日一日、優しい心で過ごすことができますように☆(*^_^*)☆

では、どうぞ良い一日を☆☆