野田村では、週末に、新しくできた4カ所の仮設住宅への引っ越しが終わり、避難所が閉鎖されました。仮設での見守り活動は、範囲も広がっていきます。野田村災害ボランティアセンターは、7月11日から野田村災害復興ボランティアセンターと名称を変更し、週末は休日としながら、息の長い支援へと展開していかれるようです。一方、夏休みに入りますと、学生ボランティアの数も増えると予想しています。チーム北リアスでは、現地に宿泊施設も整えていきますので、私たちも、当初からの予定通りではありますが、いよいよ息の長い支援へと気を引き締めていく時期になってきています。

さて、7月2日、3日のボランティアバスでの活動を終えましたので、現地に残っているNVNADスタッフは、4日、まず、イベントでお世話になった野田村災害ボランティアセンター、役場職員、そして、野田中仮設住宅自治会長さんにお礼のご挨拶に向かいました。目映いばかりの陽光のもと、野田村を歩いていますと、重機に乗って”がれき処理”をされている地元の女性と会いました。「がれき処理は、必要と思いつつも、知り合いの家を壊していく作業でもあり、複雑な心境だ」と仰っていました。「これまで気丈に頑張ってきたつもりだが、お子さんの保育園卒園式では、涙が止まらなかった」と、涙ぐんで話して下さいました。動いていなければ悲しくなるので働いているとのこと。「いつもいつもありがとうございます」と言って下さるので、こちらこそ涙をこらえる場面もありました。

7月5日(火)は、現地事務所の整備について、土地を提供して下さっている方と工務店さんで話をしました。お盆前に宿泊可能な施設が完成する予定です。その後、大阪と東京からレクイエムプロジェクトで活動されている作曲家と団員の方が来られました(このプロジェクトは神戸や兵庫県佐用町でも実施され、想いのこもった演奏に感動しました。詳細は、http://requiem-project.jp/)。役場で今後の打ち合わせをさせて頂きました。野田村とその周辺地域で実現すればと願っています。

7月6日(水)は、チーム北リアスのメンバーである弘前大学人文学部ボランティアセンターの皆さんの”定期便“がやってきました。瓦礫処理や物資整理に動かれている中からお二人にご協力頂いて、新しくできた仮設住宅85戸に、能登半島地震で被害に遭われた輪島市の皆さんから贈られた「和みバッグ」の配布予告のチラシと、チーム北リアスのニュースレターを配りました。作曲家と団員のお二人にもご協力頂きました。まず、先日、NVNADのボランティアさんが整理して下さった現地事務所の倉庫に行き、「和みバッグ」の実物をご覧頂きました。その後、泉沢地区、門前小路地区、米田地区、下安家地区の仮設をまわりました。

留守にされているお家も多かったのですが、チラシを配りながら、声がけをしていきました。津波のこと、仮設のこと、生活のことなど色々と話して下さる方々もいました。「皆さんにお世話になってばかりで、ありがたいことです。是非、また来て欲しい。来てお話しして下さい。今は、畑に行ったり、孫のために動いたりすることがなくなって寂しいから」という方の声を重く受けとめ、これからますます、お一人お一人との交流が大切になってくることを実感しました(和みバッグは、10日に、チーム北リアスのメンバーである八戸高専の方々と一緒に、お一人お一人に配らせて頂きます)。輪島市の皆様はもちろん、一日中チラシを配りながら、あたたかい対話を続けて下さった弘前大学バスのお二人とレクイエムプロジェクトの方々、そして、バスからお二人を送り出して下さった弘前大学人文学部ボランティアセンターに感謝申し上げます。