あなたの喜ぶ顔がみたいから☆(*^_^*)☆

ボランティアを始めるきっかけって、色々あると思うのですが、私の場合、最初は、自分探しのような気持ちがありました。

仕事や家庭や社会的な肩書き、役割、立場をわきに置いて、裸のままの自分が相手に喜んでもらえる存在なのかどうか、それを確かめるために一歩を踏み出したような記憶があります。

自分って、誰だろう?

そんな思いがどこかにいつもあって、自分が自分でいられる、喜んでもらえること。

それは歌うことや語りかけることかな・・・と自分で思って、たった一人で南部地域病院の受付に申し込んだことを覚えています。

でもその時は、何も実績も経験もなく、ただ学生時代に弾き語りをしていましたということのみ。

いはば門前払いのような形で、最初の門は開きませんでした。

でもそれでも諦めないで次に島田療育センターに電話をしてボランティア窓口にお願いにいったのは、我ながら、行動力があったなあと今でも思うのです。

なぜ「裸の自分」にこだわったか。

それは今から12年前、大きな病気がみつかって、全身麻酔での手術を体験したことに遡ります。

手術は小学校5年生の時の盲腸以来でした。

大人になってから、家族ができてから、初めての大手術。

狭くて小さい手術台にあおむけに横たわった時は、マナ板の上の鯉の気持ちでしたが、不思議と恐怖も戸惑いもなく、安らかな気持ちでした。手術室にBGMが流れていることがとても驚きで、宇宙センターのような近代的でまぶしい空間にはいれたことをラッキーとさえ感じていた自分を思い出します。

その時、強く感じたのは、「私は、裸なのだ」ということでした。

これが生身の私であり、この私が原点なのだということ。

だから手術が成功したら、ここからまた始めればいいのだ。

そうかんがえて、横になった瞬間。深い眠りに落ちました。

初心に帰るというのは、私の場合、そこまで戻るということを意味します。

とすると、あの時に助かったいのちを、私らしく、裸のままの私を、社会の中で生かしていけばいいのだ。

そんな風に考えるわけなのです。

そして、なんのために。と問われたら、目の前にいる人、出会う人たちの喜ぶ顔をみたいから。

それだけなんだなあと思うのです。

ボランティアをすることも、仕事をすることも、家事をすることも、生きるってことすべて、

きっと誰かの喜ぶ顔をみたいから頑張れるのかもしれません。

とりとめのない、心の風景を描いてみました。

では、どうぞ素敵な日曜の午後をお過ごしください。

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