お隣利根町の鎌倉街道を歩いてきました

ブログ子は我孫子の鎌倉街道を過去2度歩く機会がありました。一度は10年前、そして一昨年のことです。
新木駅から歩いて10分程で、鎌倉街道入口の標識があり、そこから森の中、田畑の中を通り、中里市民の森をくぐり、諏訪神社へと至る道です。“いざ鎌倉”と云うとき、こんな不便な(?)道を走っていたのか、と思ったものです。
ある日知人から利根町観光マップを頂きました。ブログ子が我孫子市内はもとより、取手市にも足を伸ばしたことを知った知人が、“それでは、同様に我孫子の向いの利根町にも来たらどうですか”ということで頂いたものですが、そのマップの中に鎌倉街道が示されておりました。
(写真1:鎌倉街道入口の案内板)

その昔常陸の武士達が、いざ鎌倉の時、利根町(当時は村)から利根川を渡り、布佐に入り、新木、日秀、中里と駆けて来たのではないかと思い、是非利根町の鎌倉街道を歩いてみたいと思ったのです。
会仲間のI氏にお声を掛け、当日は奥様もご一緒に散歩することになりました。残暑が依然厳しい中、知らない町を土地人に道を尋ねながら、1時間20分ほど歩きやっと山の中の森に、その道を発見しました。「発見」と云ったのは、土地の古老はご存じでも、多くの町民は観光パンフレット、マップの存在にも関わらずあまり知られていないのではないか、と思われたからです。
(写真2:利根町の鎌倉街道の坂道)

(写真3:街道の一部では草深い道を踏み分けて行く)
 蜘蛛の巣が我々を遮るように張り巡らされ、街道沿いに掲げられていた幟は全く色あせており、町民の方がたも行政もその存在を忘れてしまっているのではないか、と残念に思われました。
翻ってわが町は如何との思いがよぎりました。観光マップに掲載はされているもののあまり観光者の来ないところ、またたとえ掲載されていなくともその景観の素晴らしさを知る人のあるところ(行政はタッチしていない)等様々です。どれだけ我々市民の手が入っているか、よその町のことを云々出来ないと思いました。

 それにしても我孫子市内散策で、一つのポイントを探すためにⅠ時間20分も要した経験がないだけに、街道を探し当てた喜びはとても大きなものがありました。現在当会で行っている「あびバスマップ」の調査、「私の好きな道を歩きませんか」、「歴史景観散策」など、その道中で見つけたスポットは、きっとそれまでの苦労の証でもあり喜びでありましょう。
 さて、同行して頂いたI氏ご夫妻には、炎天下の行軍で大変な思いさせてしまったことをお詫びしつつ、次回以降念入りな事前調査の必要性を痛感しました。
(写真3:街道の一部では草深い道を踏み分けて行く)
(会員:H.S記)