東北に行ってきました 〜レンタカーで仙台から石巻へ・編〜

仙台駅前からレンタカーを借り、

50キロ程北に離れた石巻市に向かいました。

途中、「いやしの館」という

地元密着型のステキな温泉施設で

ゆっくりさせて頂きました(%笑う女%)(%王冠%)

吹き抜けのロビー&休憩室には、

日曜日の昼間ということもあり20人くらいの人がのんびりしておられました。

私の向かいに座っていた5歳くらいの女の子が

ちょっと苦戦しながらも、折り紙で飛行機を折っていました。

この飛行機を、どこに飛ばすのでしょうか・・・?

その先はステキな『未来』でありますように(ー人ー)。

こんな小さな子どもにとっても、あの震災は途方もない

とてつもない出来事だったかと思うと

一人、勝手に目頭があつくなります。。。

石巻市にある市街地に着きますと

市内のあっちこっちから、生演奏が聞こえてきました。

駐車場に車を止めて、その中の一箇所に行ってみました。

「トリコローレ音楽祭」と書かれたそのお祭りは、

未だに震災の爪跡が多く、そして生々しく残る市街地に

活気を漂わせていました。

この音楽祭は、どうやら何年か前から定期的に開催しておられたそうで、

今年は震災があった関係で、開催が危ぶまれたそうですが、

「こんな時、だからこそ」

開催を決意されたそうです。

石巻市や太平洋をぐるっと一望出来る

日和山(ひよりやま)公園に行きました。

ここからの風景は、ショック過ぎて

言葉がありません。。。

世の中は「復興」と叫んでいますが、

未だ「復旧」すら出来ていない場所が、たくさんあるのだということを

まざまざと見せつけられます。

津波に襲われた地域の瓦礫撤去はほぼ終ったようでしたが、

地盤沈下が発生した影響で大潮の時などは

海水が浸水して来てしまっており、

その影響か、この地域の復旧・復興が全く進んでいない状態で

ペンペン草が生えていました。

だんだん日が傾いてきて、肌寒くなった中、

「がんばろう石巻」と書かれた場所を、一人、歩いていますと、

半年前には、どこかのだれかの物であったであろう、

ありとあらゆる生活雑貨やおもちゃなどが

ゴロゴロと足下に転がっていることに気付きました。

半年前には、この場所にも、今、私が暮らしている場所と

全く同じように、家があって、家庭があって、

人が仲良く暮らしていたんです。

それが、一瞬のうちに消えてなくなってしまったんです。

「絶望」

そんな言葉が脳裏によぎりました。

そんな時、二台の車が、私の前に止まりました。

そこから6人の同世代の男女が降りて来て、

メッセージが書かれた紙を持って、

写真を撮ったり、ビデオを撮っていました。

私は思い切って、なにをしているのか?聞いてみました。

おにいさん・おねえさんたち曰く・・・

「私たちは、『フェイスブック』の仲間なんです。

台湾の人たちが一万人規模で、今回の震災を憂え、

そしてこの東北の応援をしてくれています。寄付もたくさんしてくれているんです。

私たちは、その台湾の人たちに、感謝の気持ちを伝えたいんです。

この6人のメンバーは地元の人もいれば、

この時のためにわざわざ、愛知から来てくれた仲間もいます。

それで、写真撮影と動画を撮影しています。」

夕日と「がんばろう石巻」と書かれた看板をバックに

彼ら彼女たちが・・・

「謝謝 台湾!!!」

と満面の笑みで何回も叫んでいる姿に

私はこの東北、そしてこの国の『希望』を感じました。

この東北、そしてこの日本は、いつか必ず復興すると

確信した瞬間でもありました。

彼ら彼女たちが、もう一つの撮影スポットに行く前に、

またお話しをさせて頂きました。

私が今回、東北に行く前、

ある団体で、震災ボランティアに参加した神戸市の

整体師のおにいさんから聴いたお話です。

「日本を一人の身体と例えたら、

東北という部位で、複雑骨折が起こっている状態です。

その骨折をどうしたら早く治せるのか?

それは、そこに集中して『血液』を流すんです。

その『血液』とは「お金」であり「心」なんです。

日本人一人ひとりが心臓のように「ポンプ」となって、

東北の被災地に向けて『血液』を流すんです。

そのためにも、日本全体の経済活性化が

必要不可欠となります。

今こそ、日本人が心一つになって、みんなで

この日本をよくして行かなければなりません。」

するとその、おにいさん・おねえさんたちが・・・

「本当にそうですよね・・・。

私たちは日頃、住む場所も違うし、やっていることも違うけれど、

みんなで心、一つにがんばらなければないませんよね。

お互いに、がんばりましょうね。」

そう言い残されて、去っていかれました。

これから先の私の人生で、その名前も知らない方々と

お会いする機会はきっとないと思いますが、

これからも、きっと、そのおにいさん・おねえさんたちと

繋がり続けるんだという、不思議な感覚を覚えました。