福島からの母子支援・・シンポジウム報告

12月15日18:30より、飯田橋の東京しごとセンターにて、「福島からの母子支援ネットワークシンポジウム」が開催されました。

2011年の終わりに向けて、来年以降この課題を風化してはいけないと思いきって開催しました。

おかげさまで12月のお忙しい時期にもかかわらず、100名以上の方にご参加いただきました。

第1部の前半は、3月11日以降すぐにいわき市から母子で自主避難されているお二人の方にお話しいただきました。

小学生の女の子二人のママは、原発が危ない状況ということを早くから知って、タクシーや新幹線で家族がそれぞれに分かれながらやっとの思いで東京まで避難し、赤プリにたどり着くまでをお話しいただきました。

こどもたちは原発の悪口を一切言わないそうです。

「ママ今日はこれができたよ。こんなことしたよ。」
とか、前向きなことしか言わないとのこと。

「私はこれからもママと生きていく」
という娘からの手紙をもらったという話が私には印象に残りました。

小学生と未就学児の二人の男の子のママは、やはり11日の真夜中のネットで得た情報をもとに、おじいちゃんも一緒に赤プリまで避難してきました。

大切なものを3つまで持っていこうね。とこどもたちに持ち物を選ばせ、二日分の着替えの服を持っていわきを出て、それから子どもたちは一度も帰っていません。

福島で残っている知人などは、様々な事情で地元を離れずにいるのですが、それはそれでこどもに何か健康の被害が出たらどうしようという罪悪感、また避難しているママたちにも、環境を変えて避難してきて本当にこれでよいのだろうかという罪悪感がある・・とのこと。

勉強になるお話がたくさんあったのですが、その中でぜひご紹介したいのが一つ。

被災者いろいろ、三つのタイプに大きく分かれます。

①まず、助けて、と声を出して言える方たち。この方たちは後ろに何千人もの仲間を抱えている場合が多いです。

②次に、仲間通しで寄り添ってじっと耐えている方たち。支援は欲しいが来てくれるまで待つタイプ。

③さらに、どんなに困難でも他からの支援は受けずに、自力で乗り切ろうとする方たち。支援は必要ないときっぱり。

③の人に出会ったからと言ってみんながそうとは限らない。。というお話で、活動していく上で知っておいたほうがよいと思いました。

第1部の後半は、パネルディスカッションです。

NPO法人キッズドア代表渡辺由美子さん、NPO法人Learning for All 事務局長阿久津純一さん、東京社会福祉士会スクールソーシャルワーク連絡会 竹村睦子さん、がパネリスト、私 NPO法人こどもプロジェクト代表の福田がコーディネーターをさせていただきました。

難病や障害のお子さんの子育て支援をしてきた当団体は、治療のため地方などから都市部の大病院に来て長期で入院する子どもたちの家族を支える施設を例に挙げ、そのオーストラリアのシステムを紹介しました。

福島からの母子を地域社会や国、企業が支えていければと思っています。

キッズドアの東日本大震災支援、LFAの学習支援など、各団体こどもたちの未来のために実施している活動の話をしまして、福祉士会も後方支援としての活動を発表しました。

避難生活が長期になるため、活動を継続すること
PTSDなど心のケアの重要性
ネットワークがこれからは大切
支援を必要としている方たちへどうつながるか

など、話題は尽きなかったのですが、時間切れとなってしまいました。

次回は、2月ごろを予定しています。

多くの方のご参加をまたお待ちしています。