改めて『結願』を決意っ☆

最近、毎週水曜日の午後7時半から、

神戸・大阪限定のテレビ局「サンテレビ」で

『四国遍路寺 同行二人(どうぎょう ににん)』という、

四国八十八ヵ所のお寺を、歩きお遍路さんの視点で、

順番に紹介されていく番組がされており、

今日・4日、その最終回でした。

全長1200キロとも1400キロとも言われている、

歩き遍路道を、昨年4月から何回かに分けて

約400キロのみ歩いてきた私。

現在、36番・青龍寺と37番・岩本寺の間にあります、

高知県の須崎市の須崎駅まで歩破いたしました。

あれだけしんどい想いをしながら

歩いたにも関わらず・・・

「また歩きたい(%ニヤ女%)(%ハート%)」

という想いが、フツフツと・・・。

ほんと、行った人・味わった人にしか分からない

麻薬患者のような「お遍路病」ですヮ〜(笑)☆

番組に、88番・大窪寺に無事、

結願(けちがん。1〜88番まで回り終えること)された

歩きお遍路のおじさんが登場されました。

おじさんは二度目の歩きお遍路なんだそうで、

二度目は、妹の婿さんと一緒に回ろうな〜と

約束していたにも関わらず、

ガンで亡くなってしまったそうです。

その婿さんの遺影を首からぶら下げながら、

「同行二人」で結願されたとのことで、

感無量状態で涙されておられ、思わずこちらも貰い泣き・・・(%涙%)

お遍路さんが持つ、「金剛杖」には

「同行二人 南無大師遍照金剛」と書かれています。

例え一人で歩いていても、杖は弘法大師さんの身代わりだという意味があり

それで、自分と弘法大師さんの「二人」という意味だそうですが、

そのおじさんにとって、その二人目は、妹の婿さんだったようですね。

お遍路仲間(ソウルメイト)の妹の婿さんをガンで亡くされた

心の痛みは決して消える・癒えることはないですが、

その痛みを「昇華」し、その婿さんと共に

今後も更に輝きを増す、人生の遍路道を歩まれ続けはるんでしょうね。。。

番組の最後に、どこかのお寺のお坊さんが・・・

「遍路とは、人生そのものである。」

つまり

「人生は、遍路である。」

・・・とおっしゃられていました。

まさに「よしこちゃんの人生=遍路なり」です(笑)。

私は、両親・親戚をはじめ、今まで本当にたくさんの方に

「若い独身女子のよしこちゃんが、なんで

歩いて四国遍路に回っているん?お年寄りじゃーあるまいし・・・??」って

聞かれまくっております。

今まで、テキトーにあーだこーだ言っておりましたが(笑)、

実は、本当の理由は分からないんです。

ただ、「行きたいから」なんです。

心の底・・・魂の底から欲しているという感じです。

この気持ちは、「どうして、ある特定の異性と結婚したか?」という問いに

答えるのと同じ領域で、難しい質問なんです。

既婚者のみなさまは、

なんで今の旦那様Or奥様とご結婚されたか・・・?

理詰めで、どんな第三者にでも理解・納得できるように

説明できますでしょうか?

星の数ほどにいる男女の中から選んだパートナー。

これはまさしく

「縁」で結ばれているから・・・じゃないんでしょうか?

「縁」は元々、仏教用語のようですが、

これは現代科学では決して解明出来ない・・・私たち人間の思考を超えた・・・

昔風の言葉で言いますと、「神の力」によって

もたらされるものではないかなと考えています。

人間がどうこうしようとしても、どないしようもない事が

この世の中には、とってもたくさんあるんやと思います。

今回の大震災も、正に、人間がどうしようも出来ないもの

だったかと思います。

さりとて、「縁」というものは、

Aさんには来るものであっても、Bさんには来ないもの・・・のように、

人によって来る縁と来ない縁(=その人にとって必要な縁と不必要な縁)

があるようです。

どうやら、よしこちゃんという人間に、神がもたらした「縁」の中には、

「四国お遍路」という「縁」があるようです。

それが、良い・悪いという判断は、

第三者がするものではなくって、

どうやら、自分自身で判断するもののようです。

(ただし、その「縁」によって、第三者に害を与える場合は、

他人・警察・裁判所などの第三者が大いに関与しなければなりません)

となりますと、「縁」によってもたらされる、人・モノ(お金含む)・環境・情報なども

人それぞれ違う・・・ということになります。

ですので自分の人生と、自分以外の人生を比べて、

一喜一憂するのは、そんな視点・アプローチからしますとよくないようです。

よしこちゃんの人生は、よしこちゃんしか到達出来ない・・・

到達すべき人生の『頂上』があり、

それを目指して、ただ己を磨いて、登り続けるしかないということですよね。

確かに、世界の人間は全員、よしこちゃんだったら、

世の中絶対に回りません(笑)。

いろんな使命・役割を持った人がいるからこそ、

うまくカッチリ合わさって、うまく回っていくんやと思います。

上記の、テレビに出ていたおじさんは、

妹婿さんの供養を主目標として、歩いて回っておられましたが、

私は、誰かの供養とか、自身の壊れた心身を修繕する為に

回っていないことは確実です。

私は四国遍路道で・・・

「『真理』(ホンマのこと)をみつけたい・・・

だから回っている・回り続けるんや。」

・・・という事に今日、テレビを見て、気づかせて頂きました。

『真理』と書きますと、

「あっ!オ●ム真理教!?」ってなもんで、

めっちゃ怪しい宗教くさいんですが(笑)、

こんなにもスピードが速くって、グローバル化

(自分の身の回りで起こっている人・出来事以外のことやもので、

自分たちの生活が、大きく左右されている世の中)になると

見た目や嘘八百の言葉でまんまと騙され、真理が分らなくて、

そして正しい判断・行動が出来ない人間は、

どんどん世の悪者の餌食にされ、

人生がわるい方向に行ってしまいます(しまっています)。

真理を見つけるためには、

魔法使いやエスパーのように、非人間的な技を体得すればいい・・・

ということではなく、

「スナオになる」つまり

「ありのままが見える」ようになればいいだけのことなんです。

ありのままが見え、ありのままの状態

(人間の心理や社会の世相など)が見えれば、

過去も現在も、そして未来も見通すことが出来てきます。

そうすれば、漠然とした人生(生活・仕事等)の不安は消え、希望が出てきて、

「じゃー、どうしたら、次に来る苦難を乗り越えられるか?」という

一手を先に・前向き・冷静に打っておくことが出来ます。

(たとえ予告なしに突然起こった、苦難であっても、

危機管理能力を研ぎ澄ましていれば、その時々に応じた

ベストな対処が出来るかと思われます)

これこそ、「危機管理」というものなんではないんでしょうか?

何が起こるか分かりづらいこの世の中には、

危機管理は、非常に重要なことです。

「自分だけは大丈夫」という、根拠のない怠慢で悪い思い込み、

「誰かがいつか何とかしてくれる」という甘え・依存・・・

そんな、人間の心の「たるみ」が最も危険な思考なんです。

香川県の88番・大窪寺を今日、テレビで見まして、

そこには、今のよしこちゃんが目指す、

「もう一人の自分」が、じーっと待っててくれているような気がしました。

きっと、私にとっては、その「もう一人の自分」が、

金剛杖に書かれてある「同行二人」の二人目なんだと思います。

改めて、一つの区切り・ゴールであります

お遍路さんにとっての「結願」を、一日も早く成し遂げたいと思いましたぁ〜(%笑う女%)(%王冠%)