野田村では、小正月の行事が行われました。役場前の「のんちゃん広場」には、早朝から、どんと焼きのコーナーが設置され、住民の皆さんが、祈祷した後、燃やしてもらうお札をコーナーにおいて行かれました。10時から、主催の「野田村むらづくり運動(はまなす運動)推進協議会」会長と村長からの挨拶、愛宕神社の宮司さんによる祈祷、村長らによる玉串奉奠があり、いよいよ火が入ってどんと焼きが始まりました。祭壇には、お供え物(酒1升、塩、魚、五穀、野菜、果物)とともに、餅と塩が用意されて、皆さんに振る舞われました。

別のコーナーでは、母子寡婦福祉協会をはじめ各種団体による餅つきが行われ、きなこ餅が配られました。また、老人クラブ連合会などのみなさんは、準備されたミズ木に、紅白の団子を飾っていく「だんごしば」を園児らと一緒に作られました。会場では、見事な大黒舞も披露されました。チーム北リアスからは、八戸の皆さんによる棒こんにゃくの炊きだしがあり、弘前大学人文学部ボランティアセンターから参加された43名の皆さんは、各コーナーでお手伝いをしていただきました。役場上にカメラが設置され、「復興の狼煙」プロジェクトとして、参加者全員の写真撮影が行われました。写真は、3月11日以降に、ポスターとして配られるとのことです。

夕方からは、地域の伝統行事「なもみ」がありました。これは、秋田に伝わるナマハゲと同様の行事で、赤鬼・青鬼の姿になった男性が、家々をまわり、「なまけものの悪い子どもはいないか」と探して脅すという行事です。宮本常一「歳時習俗事典」には、「ナマハゲというのは、ナモミハギのことです。ナモミというのは火あざのことで、こたつなどにあたっていると、股や足に赤い斑点がつきます。それをはぎとるというわけでしょう。男鹿半島ばかりでなく、岩手県の海岸にもこんな行事がありました」という記事が載っています。これは、寒いからといって怠けて暖房の傍から離れない子どもを、暖房から引きはがす、つまり、怠けて自分の好きなように過ごしている子どもを叱り飛ばし、親の言うことを聞くよい子になってもらうという行事です。NVNADでは、なもみの面や衣装が津波に流されたという報を受け、なもみ保存会を支援させていただきました。

17時前に、なもみ保存会の面々が役場横の総合センターに集合。簡単な食事をしながら、打ち合わせが始まりました。二人一組の「なもみ」=鬼が、申し込みのあった家を地区ごとに割り振って、分担して訪問するプランを確認。なもみになるのは、若いメンバーで、先輩から衣装を着せてもらったり、迫力のある演出を教わったりして、準備を整えていきます。整った時点で、会長から挨拶がありました。「津波に襲われて、もはや、なもみも実施できないかと残念に思っていたけれど、NVNADはじめ皆さんから支援を受けて、今年も開催できることになった。大変ありがたい。こんな時だからこそ、よい子に育って欲しいと願いを込めて、大いに暴れてくるように」と檄が飛ばされました。

皆さんで御神酒を頂き、出陣の笛。まずは、センターのロビーに来られていた親子に、「悪い子はいないかぁ」「親の言うことをきかない子はいないかぁ」と“襲いかかり”ました。なもみを目にした瞬間、子どもたちは泣き叫びました。そこへ、鬼の顔や、手に持った包丁型の装備品を近づけ、「よい子になるか」「親の言うことをきくか」と約束を迫りますと、子ども(あるいは、親)が「はい」と応え、一段落。親は、なもみにお礼を言って、なもみに同行しているメンバーから、「家内安全、無病息災」と書かれた紙を受け取ります。そして、お酒などが渡されます。こんな風に数件の家々を訪ねてまわりました。どこの家でも、絶叫する子どもたち。それを抱きしめて守る親。少し離れて微笑みつつ見守る祖父母という図が展開されました。保存会の方々に伺うと、自分が子どもの時もなもみがやってきて、恐ろしかったという経験をお持ちの方々も多く、今度は自分がなもみになり、そして、次の世代に伝えて行くことの大切さを熱心に語ってくださいました。泣き叫ぶ子どもも、鬼の姿も迫力満点でしたが、同時に、それを懸命に支えている保存会の方々の姿に感銘を受けました。この野田村の素晴らしい伝統行事が、途絶えることなく、今後も続けていかれることを心から願いながら、野田村を後にしました(泣き叫ぶ子どもたちとなもみの写真は、迫力満点なのですが、NVNADからの公開は控えさせて頂きます)。