よしこちゃん、巫女さんになる♪

3月4日(日)朝からみっちり夜7時まで、

大阪府東大阪市にあります「枚岡(ひらおか)神社」にて

「巫女体験研修会」に参加してきましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)

枚岡神社は、河内国・一ノ宮というだけでなくって、

奈良の春日大社の「元(もと)」となった神社

(つまり春日大社よりも古いということです)でもあり、

歴史はとても長い由緒ある神社なんだそうです!

で、これがよしこちゃんの巫女姿→

(チョー恥ずかしいので画像は小さくしています・笑)

毎月、奈良・桜井市の三輪大社に1日参り(ご祈祷含む)をしていたり、

お遍路さんもしています関係で、

最近「神仏が及ぼす人間の変化」というものに関心があり、

(1日参り&お遍路さんしだしてから、何故か人生好転してまして・・・

その科学的根拠・・・左脳的論理で知りたいんです)

この巫女体験を通して、「今更聞けない、カミサマの基本知識」的なことを

学びたいと思い、参加させて頂きましたっ(%ニヤ女%)(%ハート%)

めっちゃ慣れない・・・窮屈な巫女スタイルに変身しますと

あ〜ら不思議☆よしこちゃんも、70歳のおばあさんも

(※この巫女体験は女性であれば、何歳でも参加可です)

みーんなホンマモンの巫女さんのように、清らかな女性に見えます(笑)。

ほんと、心も姿勢も凛として、一気に引き締まりました。

服装(見た目)の世界も、人間の心理を変化させる効果って

意外と絶大やなーって改めて感じました(%笑う女%)(%ハート%)

清らかな巫女さん21人は、神社の方に連れられて

境内を一通り見学をさせて頂きました。

ここには「枚岡梅園」があり、梅の花が咲き始めていて、

結構、見物客がおられました。

来週・再来週くらいが見ごろのようです。

梅をみますと、「もうすぐ春か♪」とちょっとルンルンになり、

そして桜を見ますと、チョー☆ルンルンになるのが、

日本人の心のようですね(%ニコ女%)(%星%)

見学後は、中東弘宮司の講話。

中東氏の講話は、あっちこっちの倫理法人会で

ご講話されており、また大阪倫理の広報誌「なにわニュース」にも

連載記事を書いてくださっております。

とっても笑顔がステキで、ほんわかした雰囲気と、

宮司ならではの凛とした雰囲気もお持ちのすごい&すばらしい方です。

これまた内容の濃い1時間の講話でしたが、

2つ、ここでご紹介させて頂きます。

まず、「『稽古』(けいこ)と『練習』の違い」について。

日本古来の習い事やスポーツ・・・

弓道や柔道、剣道・・・書道・華道・茶道などは

「練習する」ではなくって、

「稽古する」という日本語を使います。

「練習」とは、野球、サッカーをはじめ、

欧米諸国で生まれたスポーツを練磨することを差します。

練習することにより、対戦する相手からいかに勝ちを奪うか?

相手を負かすか?・・・その為に練習します。

つまり、対立した相手の為にしているのが練習です。

狩猟民族ならではの発想ですよね。

一方、「稽古」とは、日本古来の「道」のつくものの練磨のことを差します。

この「道」は、どこに続く道かと言いますと、

「神に近づく道」・・・もっと分かりやすく言いますと、

「本来あるべき自分自身の姿へと続く道」だと思います。

華道にしろ、弓道にしろ、柔道にしろ・・・

一見相手がいるものであっても、『自分対自分』

『今の自分 対 本来あるべき自分』との戦い・・・という訳です。

欧米諸国のスポーツのように、対立した相手はおらず、

己対己の合一した一つのものの中での戦いになります。

「この道を究める・・・己自身の人生の道を極める。ただそれだけ。」

というのが、日本人が本来持った精神性であり、

それが「稽古」という日本語としても出てきている訳です。

この道という日本語は、日本古来の習い事だけでなくって、

経営道、遍路道、そして人生道・・・いろんなところにつく漢字だと思います。

人生、死ぬまで勉強。

己が決めた、己のみが歩むべき道を

極めていきたいですよね・・・一度きりのかけがえのない人生で・・・(%ニコ女%)(%星%)

もう一つは、『忘己利他(ぼうこりた)』という四字熟語です。

直訳すると、「己を忘れ、他に利する」・・・つまり、

世のため人の為に尽くし尽くせということです。

中東氏いわく・・・

現代は、神道は宗教法人の一つとなってしまっているが、

本来神道とは、「自然(理)にかなった生き方、そのもの」である。と

きっぱり断言されておられます。

神道はつまり「神へと近づく道」。

更に具体的に言うと、「本来あるべき自分自身へと近づく道」であります。

巫女体験しても、華道をやっても、茶道をやっても分かったんですが

神道は、「宗教(法人)」という限られた枠のものではなくって、

古来から続く、日本人の精神性(アイデンティティー)の本(もと)・・・そのもの

だということが分かりました。

つまり、神道を学ぶことが、日本人としてあるべき姿を知る

最も手っ取り早い、的確な知識・智慧を手に入れることが出来るということです。

この神道が、例えば『杉の木』のように

地面から空に向かって、どーん☆と聳え立っていて、

そこに、仏教をはじめ、比較的新しい時代に外国からやって来た

価値観・精神が『枝・葉』のように、たくさんくっついていて、

その一本の杉の木全体が、今の日本人の価値観や精神全体を

形成しているのだということが分かりました。

『忘己利他』という生き方は、煩悩200%の私たち人間には

とっても難しい生き方です。

ついつい、自分自身が一番かわいくって、人様のことは後回しになってしまいます。

だけど私は、四国お遍路旅等で出会う、多くの素晴らしい『忘己利他』を持って、

私のために、尽くしてくださった方々に触れ、

そんな人たちがいかに、『ホンマモンの幸せ』を持った人生を歩まれているのか・・・

私はやっと理解することが出来ましたので、

そんな生き方にシフトチェンジしたいと、曲りなりに実践しています。

お遍路旅では、いよいよ愛媛県に入り「菩薩の道場」という第3ステージに入り、

不思議と、そのシフトチェンジが、ぐっと進んだという

手ごたえを感じています。

俗世を生きる多くの人たちが、

「世のため・人のためって、そんなキレイごとで生きれる訳ないやん」って

実践する前から諦めて努力しない人はそれでいいと思います。

それはそれなりの・・・その人の人生だから、それでいいんです。

前回のブログに書きましたが、

人様の「主観的見方・思考形態・価値観」は、その人にとっては正解なので、

他人がどうこう言う問題でないわけです。

だけど私はあえて、『忘己利他』の人生道(まさに「苦行」)を歩んでいる最中です。

毎日、毎時、己の煩悩との戦いです。

己対己との戦いです。

だけど、せっかく生まれてきたこの命、ムダに燃やして散っていきたくありません。

実力があるのに・・・命があるのに、

目の前のラクなことに、己の一瞬の快楽の為だけに

無駄にエネルギーを・・・命を浪費して

さ迷い続けている魂(人間)は残念ながらたくさん存在します。

もったいないなぁ・・・って私は心の底から悲しいと思っています。

・・・昨年の大震災では、2万人弱の方の尊い命がなくなってしまいました。

過去にも様々な事故・天災・戦争・病気・・・もっとたくさんの命が消えてしまいました。

無念でならなかったと思います。想像を絶する無念さだったと思います。

その無念さ、その人たちの想い、志を受け継いで、

自分なりに精一杯生きていくことが、

この世に残された私たちの使命なのではないでしょうか?

何らかの「使命」を私たちは与えられ、この世に「氏名」を持って生まれてきた・・・

その「使命」は一体何なのか?

まだそれは私自身分かりませんが、

きっとそれは私がこの世を去る時に、分かることなのかも知れません。

私は、その使命を・・・天寿を全うしたいと思っています。

そのためには、やっぱり、日本人としての「本(もと)」を知ることが

非常に重要だと考えています。

まずは古事記の勉強をボチボチ開始したいと思います(%ニコ女%)(%星%)

中東氏の講話、昼食、正式な参拝方法、

本殿の掃除(普段入れない聖域に入らせて頂きました!)

そして、その場所で大祓奏上&瞑想をさせて頂きました。

巫女さんの格好はとっても寒かったんですが、

不思議と、掃除とか瞑想をしていても

あまり寒く感じませんでした。

やっぱり、人々の信仰(祈り)が集まる場所には

不思議なパワーがあるようです。

最後は、巫女さん研修会参加のみなさまと、

中東宮司さんをはじめ、神社の人たちみんなと

ワイワイと夕食を囲んで懇親会がありました(%笑う女%)(%ハート%)

次回の、巫女体験は5月なんだそうですが、

超人気のようで、既にもう10人ちょっと応募が来ているようです(驚)☆

一見、資本主義&物質主義の現代と相反する

精神文化満載の神道の世界に、こうやって続々と

人が集まって来るということは、とってもいいことかと思います。

人として生きていく上で、資本主義も物質も重要ですが、

あくまで基本は人間の心であり精神です。

その次に、物質がやってきます。

戦後の資本主義&物質主義は、仁義無き対立を生み、

対立していた双方が自壊し、全部が崩壊してしまいました。

(未だ崩壊し続けています)

精神論・右脳世界ばかりにひたるのも

人として、ふわふわした・地に足ついていない感じですが、

要は何でも「適度な度合い」「バランス」が大切のようです。

これからの時代、「AとB」ではなくって、

「AB」という、間に「と」がない、一つの「AB」という合一した状態で

存在するのがベストのようです。

例を上げますと、

「夫と妻」ではなくって「夫妻(夫婦)」という一つになるということです。

ほんと、神道(=日本人古来の価値観・精神)は

チョー古くて、そして新しいですねっ!

巫女体験を通して、更に深い学び・気づきをさせて頂きました。

枚岡神社のみなさま、ありがとうございましたぁ〜(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)

(%赤点%)枚岡神社 ホームページ http://www.hiraoka-jinja.org/

(%赤点%)5月13日(日)の第3回巫女体験チラシです↓(%笑う女%)