子どもの見える行動、見えない行動 菅野 純より その3

いま、親であること

戦後の家族は血縁的関係や地域共同体の崩壊によって
見知らぬ土地で見知らぬ同士住む不安と孤独を強いられてきた
あるいは、血縁的関係や地域共同体の桎梏から自由になる代わりに
不安と孤独とを無意識に選んできたともいえる

様々な現象から抽出できる事は、
子どもが子どもでいられる時間および空間と
家族が家族でいられる時間と空間が少しずつ崩壊してきているということである

子どもは何の防御壁もないまま社会にさらされ
守り手のいない<家庭>を必死になって守ろうとしたり
崩れかかった<家庭>の中で途方にくれたりしている
<家庭>を捨ててしまう子どもも出てくる

どのような<家庭>でも、なんらかの意味で致命傷に近い傷を
抱えていない<家庭>はないのではなかろうか

いま、親として私たちが<家庭>の置かれたこうした状況を自覚し
<大人>としての自分を見つめなおし、鍛えていく事が
家庭教育のすべてだといえるのである

<ボケが咲きました>