おかげさまで無事、松山市内「大街道」に到着っ♪ ③

29日も快晴で、46番・浄瑠璃寺からは

しばらくゆるやかな下りが続き、

松山市街の風景が見下ろせます。

道後温泉側にあります、51番・石手寺までは

お寺が密集している地域で、

(午後から曇ってきたこともあり)

快調なお遍路旅となりました(%笑う女%)(%王冠%)

今日のお遍路旅では、

4月頭から、1番・霊山寺から

歩きお遍路さんをし続けているという

団塊の世代のおじさま・お二人

(それぞれ別のところからお越しです)と

ほぼペースが同じで、4回くらい会いました(笑)。

一人のおじさんは、毎晩民宿に泊まっておられましたが

(「おもご旅館」で一度一緒になりました)

もう一人のおじさんは、洗濯物を洗う時だけ民宿に泊まり、

それ以外は野宿されておられるとのことでした。

野宿しているおじさん曰く・・・

「僕はお金がないから、洗濯物がない時は野宿なんですよー。

お金はないけど、時間だけはたっぷりあるんだけどねー(笑)」。

そこで、ふっと思いました。

「そもそも、お金のない人が、お遍路さんをするかな?」

・・・と(笑)。

っていうか、『お金持ちの定義』って何なんでしょうかね?

1兆円持っている人でしょうか?

100億円でしょうか?1億円でしょうか?100万円でしょうか・・・???

あれこれ歩きながら考えていて、

これには『定義はない』ということに気づきました。

つまり、自分自身が

「私はお金持ちだ」と定義づければ、その人はお金持ちなんです。

つまり自己の『主観』で、お金持ちかそうでないかが定義&結論づけられる

ものだということです。

更に突っ込んで考えてみて、

「お金持ち」という言葉は、

「お金が1円でもある」という意味でも使えます。

1円でも、1ドルでも、1ペソでも(笑)、

お金を持ってさえいれば「お金持ち」ということです。

「大金持ち」という言葉も、「お金持ち」とほぼ同定義で

考えられると思います。

・・・この「お金」という概念を、「幸せ」ということにも

当てはまるのではないでしょうか?

自分自身が

「私は幸せだ!」と実感できていれば、

その人は幸せだということです。

人様が「あいつは不幸だ!」と言っても、

その人自身が「幸せだ!」と思っていれば、

幸せだということです。

「幸せ」や「お金持ち」のバロメーターは、

人様の見方「客観」ではなく、

「主観」でいいと私は思っています。

いかに自分は「幸せ」か・・・?

そんな「幸福感」を求め、人はお金を稼いだり

自己練磨したり、人様にアピールしたり・・・

時には倫理観に反したことを犯してしまったりします。

どうすれば、永久に「幸福感」にひたれる人生を送れるのか・・・?

それは『感謝すること』だと思います。

感謝出来ない人間は、『当たり前』という病気にかかり

不足不満の蟻地獄にハマり続け、ドツボにハマっています。

感謝するレベルを見た時に、

たとえば、宝くじに当たるとか、そんな大きなことしか感謝出来ない人は

重症のようです。

日ごろ『当たり前』だと思っていること・・・

究極は『命があること』をどう感謝出来るのか・・・?

これは大阪に帰ってからも、大いなる実践であります。

4回くらい会ったおじさんから面白い話を聞きました。

おじさんが歩いてますと、

40代の女性に呼び止められ、

途中までついて来られたそうです。

その女性は、ある宗教をそのおじさんに勧め

「仏教はだめです!絶対に不幸になります。

私は過去何回も自殺しましたが、●●教のおかげで

救われました。是非、●●教に入ってください!」と言い、

手首のリストカットした跡を見せてくれたそうです。

そのおじさんは、ニコニコ笑いながら

「自殺したなら、もう死んでんじゃーん(笑)!って

思わず突っ込み入れたくなったし、

早く振り払いたかったんだけど、んもー、『洗脳された』って感じで

ものすごい勢いでついてきたの〜!ほんとアレは大変だった〜っ☆」と

おっしゃいました。

ほんと、四国遍路道にもいろんな人がいますねぇ〜(笑)。

その女性は、そのおじさんに「よかれ」と思って、

自身が信仰する宗教を勧めて来られたんだと思いますが、

こんなところで自身の『主観』を主張するのは

押し付けのレベルかと思われます。

『主観』は、『自分自身の見方』であり、

自己の内部(心)で留めておかなければなりません。

人様にアピールする・勧めたい場合は、

人様の幸せを第一に考えながら、

『客観』的な視野や見解を持って、しなければならないと思います。

どんな宗教であれ、セミナーであれ、学説であれ、ビジネスであれ、

ボランティアであれ・・・全てものは

『やり方』は違っても、『あり方』は同じのはずです。

なぜなら、『真理は一つ』であり、本来の物事の『あり方』は、

『自分を含めての人様がみんな幸せになるために存在する』からです。

だから、邪教(誰かが不幸になる、もしくは特定の人だけが幸せになる教え)

でない限り、どれも「正解」なんです。

どれがいい(正しい)・どれがわるい(間違っている)なんて、そんなことはなく、

全部OKという訳です。

主観と客観を混同し、感情論であれこれと

あっちこっちで揉めていて、酷いところでは、戦争が起こって

たくさんの尊い命が奪われ続けています。

戦争まで行かなくても、日常生活のあちらこちらで

「オレは正しい・オマエは間違っている!」と揉め事が多発しています。

自己肯定されたい(認められたい)とか、

人よりも有名になりたい・お金持ちになりたい・いい暮らしがしたい・・・とか

そんな煩悩なんて、キリがありません。蟻地獄の世界で

漂うのは虚しさだけです。

まさに「諸行無常の響きあり BY平家物語」の世界。

調子のいい時はそれでもいいですが、

調子が狂った瞬間、今まで人様から奪取して来た人間は

坂道から転げ落ちる勢いで、人生が暗転してしまいます。

死んだら全ては終わり、あの世には何も持っていけません。

そんなことに、エネルギー(=命)を費やすのであれば、

自分以外の人の為に、純粋にエネルギーを費やせば

必ず己自身も、浮き上がり、好転して来ると思います。

そんな概念を私は、このお遍路旅中で

掴むことが出来たように思います(%ニコ女%)(%星%)

49番・浄土寺で、お参りしておりますと

「がんばってくださいね〜!」って

車お遍路のおじさまから、綺麗な袋に入った飴ちゃんを

3つくださりました(%笑う女%)(%王冠%)

更に、カラダがヒートアップしてきたので、

「アイスクリン」(200円)が境内で売られていたので、

買いますと、そこのおじいさんにも

「歩きお遍路、大変やね〜!がんばってね!!!」と

激励コメントを頂戴しました。

ほんと、このようにお声がけして頂きますと、

元気がわいてきます。

あともう少しで、今回のお遍路さんも終わりですっ(%笑う女%)(%王冠%)

<つづく>