「清貧」という日本語について考える

最近、と〜ってもお気に入りの言葉があります(%ニコ女%)(%星%)

それがこの『清貧』(せいひん)。

よしこちゃん、目指せ☆清貧でーすっ(笑)!

別角度からこの言葉を解釈しますと

『足るを知る』。

ネットや辞書でその意味を調べますと、

いろんな“解釈”があることが分かりました。

以前、このブログにて、「主観」と「客観」について

お話しさせて頂きましたが、

(詳細はこちら→ http://voluntary.jp/weblog/myblog/42837/1952438#1952438

たった一つの日本語でも、いろんな『“解釈”という名前の“主観”』が

存在するねんなぁ〜(%笑う女%)(%王冠%)って、

かなり興味深く感じました。

人間の脳の数だけ、解釈の方法があるんですね〜っ(%ニヤ女%)(%星%)

ここでは「よしこちゃん的解釈(主観)」にて、

この『清貧』についての考察を述べさせて頂きます。

先月、妹と東京・台東区にある、俳人・正岡子規(1867〜1902)

終の住みかでありました「子規庵」に行きました。

正岡子規は、私の今の年齢である、享年35歳で病死しました。

私はこの「子規庵」に一歩足を踏み入れた瞬間に・・・

「このお方こそ、本物の『清貧』や!」と直感的にそう思いました。

現代人の家屋に比べ、圧倒的に物が少ない。

だけど、生活するためには、そこに存在する全て物でやっていける。

適材適所・必要最小限のものしかない。

「場所」に関しては、ムダに広くない。だけど、窮屈でもない。

絶妙な空間構成。庭に関しても、全くそんな感じ。

これを例えるのであれば、「宇宙の庭」と呼ばれている

「龍安寺の石庭」のようです。

この『清貧』という言葉一つにでも

日本人が長年培って来た『叡智』が入っているような気がしました。

この『清貧的思考』を取り入れた人生を歩むと、

生きる上で余計なものがそぎ落とされ、

ホンマモンの幸福を手にすることが出来ると思います。

私はその『清貧的思考』を、“歩きお遍路行”にて体得して参りました。

これが「本来あるべき日本人」が持つべきものなんだと感じています。

私が思う、「清貧」の対義語は「貧欲」です。

それは我欲のために、底なしに人の幸せを搾取し続ける人間のことを指します。

ちなみに「清貧」=金銭的な貧乏ではないということです。

要は、その人にとって本当に必要なものが「莫大なお金」であれば、

清貧であっても、どんどんとお金がその人に集まって来る訳です。

例をあげれば、ソフトバンクの孫さんのようなお方のことでしょうかね?

・・・日本語一つにしても、

そして現在や過去で起こっている・起こっていた出来事の解釈にも

全て、誰かの『主観』が入って、私たちに元に運ばれてきます。

日々目にする、新聞やテレビ経由で伝わってくる

いろんな情報もその『主観』が入っています。

事実や本当の解釈(無色透明なもの)に、

誰かの『主観』が入ると「色」が混ざります。

分かりやすい例で言いますと、

純粋な水が入ったコップに、Aさんが黒い色のした

毒を入れますと黒く濁ります。

Aさんが私に

「この水は元々黒いもので、飲むと健康になるらしいよ」と言うと

私がそのAさんの言うことを信用して、ぐいぐい飲みます。

その時は死にませんが、ずっと信用して毎日飲んでますと

やがて体内に毒が溜って死んでしまいます。

世の中で出回っているありとあらゆるもの(人・物・金・情報)には

誰か&何らかの意図を持って意図的にもたらされている

そんな、悪い『色』が混ざっているものが、かなりあります。

ですので、そんな『色』を、どう自分自身のフィルター(=正しい心)で

無色透明にして、『無』の状態にして

自身の心身に取り込んで、よりよい人生を送っていくのか?

非常に重要になってきます。

一昨年、鹿児島県の『知覧特攻平和会館』 に行って来ましたが、

昭和20年の第二次世界大戦が終る前に、

知覧の飛行場からも、多くの若い優秀な日本男子達が

「お国のため」と飛行機に片道の燃料だけ積んで、

敵国の艦隊に突っ込んで、そして死んでいきました。

そんな男子達(英霊)を、現代を生きる私たちは

「戦前の日本の軍国主義者が、彼らを“洗脳”して、そんな愚かなことさせた」と

そのように史実を解釈している(=主観している)部分もあろうかと推測されますが・・・

それとは逆&全く違った見方として・・・

「誰かの、何らかの意図によって、

『戦前の日本の軍国主義者が、彼らを“洗脳”して、そんな愚かなことさせた』と、

現代の日本人を洗脳し続けている」 という解釈(主観)も成立する

・・・のではないでしょうか?

かなり、まわりくどい言い方ですが、つまり私が言いたいことは、

なんでもかんでも人の情報を“うのみ”にせず、

自らの心のフィルター(=倫理・道徳観をベースとした客観的視点)を通して、

物事を捉え、判断し、それに基づいた言動をした方が、

結局のところ、自分の周りにいる大切な人たち&

自分自身のよりよい人生のためになる!・・・って思う次第でゴザイマ〜ス(%ニコ女%)(%星%)