「中小企業家同友会・女性経営者全国交流会」参加っ☆ その2

6月22日(金)朝からは、

「文化講演」として、

『琉球の歴史と先人たちの生き方を学ぶ

うちなーぬ肝心(ちむぐくる)』というテーマで、

崎原真弓氏(美ら海観光バス ガイド指導)の講演でした(%笑う女%)(%ハート%)

崎原さんのご講演は、唄あり踊りありで

めちゃくちゃ楽しい雰囲気で始まり、

私たちは一気に「崎島ワールド」にのめり込んで行きました。

やがて、崎島さんの『一人芝居』がはじまり

80歳の「おばぁ」が登場しました。

そのおばぁが、沖縄の歴史を語り始めました。。。

・・・昔、昔その昔。

琉球の人たちは、海辺に暮していました。

そこに食べ物がたくさんあったからです。

やがて田畑を耕すようになると、

狭い島の中で領有権の争いになり、戦国時代になりました。

やがて強い者が生き残り、

「南山」「中山」「北山」の3つの城(グスク)までに淘汰されました。

1429年、中山のショウハシ(尚巴志)が統一し、琉球王国が誕生しました。

(以後450年続く)

ショウハシは(民衆も)「もう戦争はころごりだ」と、

刀狩りを行ったりしました。

アジアの中心的位置にあった琉球王国は、平和国家を掲げ、

貿易により国力を上げていきました。

中国、朝鮮、台湾、東南アジア、そして日本・・・。

小さい島であった琉球王国は、大海原に目を向け、

それらの国々との間との『中継貿易』によって

国力&存在感を高めていきます。

北の者を南へ。東のものを西へ・・・。

共存共益の貿易&交流・・・『出会えばみんな兄弟』・・・アジアの「かけはし」として

琉球王国はハブ的役割を担っていきます。

1609年。琉球王国最大のピンチが来ます。

大赤字財政の薩摩藩が3000人の軍隊を引き連れて

戦争を仕掛けてきたのです。

平和貿易国家を築いて来た、琉球王国はあっけなく敗北。

以後、薩摩藩からの過酷な税金の取立てに苦しみ続けます。

長い年月、琉球の人たちは、

さまざまな文化・歴史を持った人たちと対立しないで、

うまく柔軟に合一し、心を合わせてやってきました。

薩摩藩に対しての強烈な怒り・憤りを感じつつも、

それでもその過酷な税金の取立てや無謀な欲求にめげず

柔軟に対応していきました。

薩摩藩主が変わるたびに、薩摩へ王朝の人間が

お祝いにかけつけなければならない・・・という莫大な資金がかかる「ピンチ」も、

「せっかく大和に行くんだから」と

さまざまな素晴らしいもの(技術・伝統・文化全般)を

琉球に持って帰りました。

その最たるものが、大和の浄瑠璃・能・狂言・歌舞伎だったようです。

それらと、元々琉球にあったものを融合し、

そして琉球人の好みに変えて、琉球独自の「創作舞踊」が誕生したとのことです。

「災い転じて福となす」ということなんだと思います。

そんなかんだで、明治12年、琉球王国が幕を閉じ、

日本国の『沖縄県』として再スタートすることになりました。

そんな時、あの「大東亜戦争」勃発したのです。

あれから67年経っても、未だに大量の不発弾が地下から発見され、

地上戦で戦死した方々約5000名の亡骸が見つかっていないそうです。

沖縄戦を知らない私たちが、今、沖縄に行って、

昔、そんな戦争があった・・・なんて、分からないようになっています。

復興出来た!と見た目の世界ではそうなっています。

しかしながら、まだ戦争が終わっていない・・・そんな見方も出来るし、

しかもまだこの世界には、戦争があっちこっちで行われています。

そして、爆弾は飛んで来なくても、

私たちの身の回りでは、「自分(たち)は正しい、あなた(たち)は間違っている」と

戦争があっちこっちで勃発中です。

つまり今は『戦後』であり、『戦中』でもある訳です。

あの戦争の末期、日本国中で唯一、地上戦が行われた沖縄。

54万人のアメリカ軍兵士に対して、

迎え撃つ日本軍兵士はなんと、たったの11万人。

圧倒的な軍事力・軍事機器を背景に、アメリカ軍は、

持久戦(兵糧攻め)を企て、沖縄の一般人を巻き込んだ

最悪の3ヶ月間の地上戦となり、沖縄の民衆の実に4分の1・

20万人が亡くなってしまいました。

「鬼畜米英。アメリカの捕虜になるくらいなら自決せよ!」

そう教え込まれていた、沖縄の人たちの多くは、

アメリカ兵に八方塞がりにされたら、

ガマ(さんご礁で出来た洞窟)の中で、集団自決していきました。

たまたま、そのガマなどで、遺骨収集している方のHPを見つけました↓

http://www7a.biglobe.ne.jp/~bone/nikki_2011_17.html

<沖縄遺骨収集参加記/ 「南部戦跡に膝をつきて」>

沖縄戦の前年・1944年8月22日。

「もしかしたら地上戦?」ということになり、

沖縄の子供たちが、「学童疎開船『対馬丸』」に乗って、

長崎に向かっている途中、アメリカの軍艦に撃沈されて

あっけなく10分後に沈没してしまいました。

その対馬丸は、引き上げられることもなく、

今も鹿児島県・悪石島の北西10kmの地点に

沈んでいるとのことです。

「対馬丸記念館」というものがあるようです↓

http://www.tsushimamaru.or.jp/

このような強烈な悲劇を、崎原さん演じる「おばぁ」が

渾身の演技で(音楽つきで)して下さるものですから、

『すすり泣き』どころか、『号泣』です。

こんなに泣いた講演会は、後にも先にもこれだけだと思います。

戦後67年経った私たちが、今、こうして平和に暮せている生活・人生は、

そんな多くの先人たちの犠牲の上に成り立っているんですよね。

沖縄の人たちだけでなくって、

沖縄戦には、全国各地から、「愛する家族を守りたい」

「愛する国を守りたい」と、集まった11万人の日本の兵隊さん。

他、特攻隊で散っていった人たち、中国・硫黄島・東南アジアなど

外地で散っていった人たち、はたまた、空襲や原爆で亡くなった人たち、

私の母方の祖父は軍人ではありませんでしたが、

中国の軍需工場に派遣され、終戦の年の春、結核で亡くなったそうです。

(もちろん亡骸は帰ってきませんでした)

そんな人たちの尊い命と引き換えに今の、日本国家の平和がある訳です。

そしてまた忘れてはならないのは、

戦争によって散っていった英霊たちに見守られながら、

残った人たちが必死で、この戦後の日本を繁栄に導いて来た訳です。

戦争は、この世に存在する「究極の対立」であり、

人の心を破壊し、人の命を破壊します。

大多数の人たちが、平和を願い、自分以外の人たちの幸せを願っています。

だけど、ごくごく一部の人間が、己の利益だけのために、

戦争(対立)を起こし、原子力発電所を継続し続け、

沖縄の基地を更に増強しようとしているのです。

古今東西、このようなごく一部の人間による

巧妙な罠にハメられ、大多数の人たちの幸せが奪われて行っているのです。

殆ど全ての新聞・テレビ・マスコミ・政治家・・・

みんなそのごく一部の人間に支配されています。

みんな、その支配に気づいていなくて、

ただなんとなく日々「不足不満」を感じ、

そして、自分を責め、相手を責め、時代を責め、

対立し続けている・戦争し続けている訳です。

私は、昨年、野田総理大臣の所信表明演説を、

偶然、あの国会議事堂の傍聴席で、全部聴いていました。

30分くらいあったかと思います。

全部聴いて、私は深い感銘を受け、

「その内容がちゃんと全部叶えられれば、被災地も国家も再建できる!」と

確信をしました。

大阪に帰ってから、ダイジェストである報道番組で

その所信表明演説が流れていました。

が、内容理解の為の、大切な文章の前後が

テレビ局の編集によって切れていて、

骨抜きにされていたり、違うニュアンスに化けていました。

で、テレビのコメンテーターが

この所信表明演説は悪である!と視聴者に向けて

言い放っていました。

私は、その出来事を機に悟りました。。。

「テレビ(誰かからもたらされた主観的情報)は、絶対に信用しない」・・・と。

だから私は沖縄に来た訳です。

この目で本当のありのままの沖縄を感じて知って

そして自分自身で判断したいと思ったからです。

沖縄の基地問題、日本の安全保障の問題は、

今の日本国家が抱えるさまざまな問題の「縮図」だと

私は捉えています。

所信表明演説の前後に感じた、

国会議事堂に漂う、なんとも言えない、憎悪の「気」。

吐き気がしました。

そこに存在する国会議員・官僚たちが全員、

坂本龍馬のような、志を持った美しい人間(政治家)であれば、

あんなに汚れた「気」を発する訳がありません。

だけど、あんな連中(あえて「連中」と書かせて頂きます)を

国会議事堂にはびこらせているのは、

まぎれもなく、私たち国民な訳です。

私たち国民が腐っているから、政治家もそして国家時代も腐って

自壊している訳です。

その自壊している・・・弱みに付け込んできているのが、

外敵(ハゲタカ)な訳です。

ほんと、内輪でもめていては・・・対立していてば、その

「ハゲタカ」の思うツボです。

江戸末期、強烈な薩長がもめていているところに、

坂本龍馬のような人間が現れ、薩長同盟(合一)を成し遂げ、

そこで一気に明治維新・日露戦争の自衛成功!とつながっていく訳です。

今また、そんな坂本龍馬的な人間が必要とされていると思います。

にしても、司馬遼太郎さんは、歴史(現在過去未来の人間)を研究しまくり、

「これからの日本には坂本龍馬が必要になる」と、先見の目があり、

それで『竜馬がゆく』で遺されたんやなーって、今更ながら分かります。。。

崎原さんの講演の最後に・・・

「命どぅ宝」(命こそ宝)

「いちゃりばちょーでー」(一度出逢ったら皆兄弟!)

「まくとぅそーけー、なんくるないさー」
(人として「まくとぅそーけ=正しい事、真(誠)の事をすれば」
「なんくるないさ=何とかなるさ」。
「挫けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつか良い日が来る」という意味。

・・・とおっしゃってはりました。

日本人(大和民族)も大概、平和民族な方だと思いますが、

琉球の人たちは、また更に一段と平和民族だということが

はっきりと分かりました。

琉球では「女性は家庭の鏡」だと言われているそうです。

つまり女性が輝いていない・くすんでいると、

家庭も地域もそして島自体も輝かない・くすむという訳です。

沖縄の女性は、

「命を守るために仕事(志事)をする」

んだそうです。

自分の名誉や金銭的に利益を上げようとか我欲云々ではない訳です。

沖縄の人たちは、民族的にも歴史的にも、平和を愛する民族です。

自分を輝かせようと思えば、「鏡の法則」で

相手(身の回りの人たち)を輝かせればよい・・・という

人間の「真理」をDNAレベルで知っておられます。

自分の命も、相手の命も「命どぅ宝」。

共存共益の貿易時代から培われて来た沖縄の素晴らしい

この考え方を、私たち大和人は、もっと学ばなければならないと思うし、

沖縄があって、私たち大和国家の平和の礎があるのだということを

もっと知って、感謝しなければならないと痛感しています。

あの悲惨な戦争で散っていった英霊たちの血と汗、

残った者たちが再建するために流した血と汗、

今の沖縄を生きる人たちの血と汗がしみこんだこの大地に込められた

『真の願い』を私たちは決して忘れてはなりません。

無事盛会にこの集会が終わる最後、

我ら大阪同友会の、西村さんが壇上に登場っ(%ニコ女%)(%星%)

来年この女性経営者交流会を大阪で開催するので、

その意気込み&アピールの時間(閉会の挨拶)がありました。

西村さんは、来年の全国集会の実行委員長です。

本当にすごい女性経営者で、

自分だけでなくって、みんなで一緒によくなっていこう!

という想いがケタ違いにすごい「あねご」であります。

沖縄の人たちは、いい意味でもわるい意味でも、

権力者(東京の政治家たち)にあれこれ主張しない・・・

じっと耐える・受け入れるという風潮があるように感じましたが、

その点大阪人は、豊臣秀吉時代から、江戸時代になって

大坂から江戸に首都を奪われただけあって(?)

中央政権に対して、批判的で、声も大に上げて主張しまくります(%ニヤ女%)(%王冠%)

大阪維新の会の橋元さんも、大阪のそんな風土があるから、

堂々と存在し続けられるのだと思います。

大阪同友会は、全国の同友会の中でも

恐らくナンバーワンのパワーがあります。

女性部は圧倒的に大阪がナンバーワンだと思います。(自画自賛?)

とにかく、大阪人は声がデカイし、主張しまくるし、あつかましい(爆笑)☆

だけど、それくらいあつかましさが、

この暗〜い日本に光を与え、新しい時代を創っていくんだと思います。

最近は忙しくって、女性部例会には行けておりませんが、

大阪&日本活性化のため、メンバーさまの活性化のために、

過去、いろんな会でこの手の大イベントは経験して来ましたので、

その経験を武器に、あねごたちと共に、来年の集会を

成功させたいと思います。

本当に沖縄に来てよかった。。。(%笑う女%)(%晴れ%)

・・・って、これが実はメインではないのですが(笑)。

まだしばらく、よしこちゃんの沖縄旅は続きます(%ニヤ女%)(%星%)

沖縄同友会のみなさま、ありがとうございましたぁ〜(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)