やはり書かざるを得ない。。。

19日、あとからゆっくりの法人会員であり、母校の恩師である中尾健次先生が亡くなられた。

中尾先生は初代代表の森氏の活動にも関わりを持たれ、この地域にも度々足を運ばれておられたこともあり、法人設立当初から理事や監事などの役員を長年にわたり担っていただいていた。

お忙しかったこともあるのだろう、2年ほど前に役員は退任されそれ以降は一会員として法人を支えてくださっていたのだが、今回の訃報はまさに青天の霹靂であった。

ご葬儀はどうしても都合がつかなかったので、遅い時間にお通夜にまいらせていただいた。

久しぶりにお会いした先生は遺影の中でいつものようににこやかに微笑んでおられた。

「惜しい」という言葉は先生のためにあるのか。

かつては解放教育の先駆的な地域で会った大阪においても反動勢力が幅をきかせるようになった。

大学において解放教育にふれ、大阪に残ろうと考えた青年時代。

先生のような方々が大学にいらっしゃったから、今自分がここにいる。

教師にはならなかったけれどもまた違う生き方の中で発信していくべきことは多いと思う。

あわづ