チョコッ☆と大谷徹奘師の法話「こころの学校」に参加っ♪

7月5日(木)午後。

おシゴトや、雨天でドタバタしまくりつつ、

「チョコッとでも、大谷師のお話が聴きたーいっ(%ニヤ女%)(%王冠%)」と

思いつつ、1時間の大遅参をしながら・・・

30分しか聴けなかったんですが(%とんかち%)(%痛い女%)、

天満橋のドーンセンターまで聴きにいきましたぁ〜(%笑う女%)(%晴れ%)

奈良の薬師寺・執事の大谷徹奘(おおたに てつじょう)師とのご縁は、

一昨年前、私が現在2回目の“委員長”を拝命中の

八尾商工会議所青年部の例会で、ご講演して頂いたことにございます。

初めての“委員長”経験をさせて頂いた担当例会(しかも3単会の合同例会!)だけあって、

今でもその苦労、そして感動を、よ〜く覚えております。

その時のブログ→https://www.voluntary.jp/weblog/myblog/42837/1944785#1944785

(今となってはいい経験&思い出っ(%ニコ女%)(%音符1%))

5日の大谷師の定期公開講話会『こころの学校』の

内容もめっちゃよかったです(%笑う女%)(%王冠%)

30分でも1000円の価値アルワ〜(笑)。

まず、私が会場に着いた時は、

「『人格』とは、どのように形成されるのか?」

という内容でした。

右図のように、知識・経験が積み重なり

その人の中に価値観が形成され、

それが考え方・生き方を決定づけていく・・・

それらのプロセス全体が「人格づくり」とのことでした。

また、

「心の中に無いものは、表に出て来ない」

という面白いこともおっしゃって下さいました。

心の中に「感情」や「欲求」として存在するから、

それが「行動」であるとか、「言葉」に出てくるんだそうです。

少年院に入っている青少年たちのためのメンターも

されている大谷師曰く・・・

「人を殺してしまった人の動機には、2種類あるようです。

一つ目は、『憎くて憎くて仕方がないから殺した』・

もう一つは『なんとなく、気づいたら殺してしまった・死んでいました。殺意はありません。』

というものです。

この後者は一見、心の中には「殺したい」という感情が

入っていないように見受けられますが、

大谷師曰く、その殺人者本人も気づいていない

深層心理・潜在意識の中に、確実に殺意が存在し、

それが、何らかの拍子に表面に出てきただけ・・・とのことです。

この例は、かなり極端ですが、

私たちの身の回りにも、たくさんある事例ですよね。

自分以外の誰かのことを知る前に、いかに

『己を知る』『己を知り尽くす』ことが大切か実感いたしました。

それから、最近大谷師が気づかれた&発見されたという・・・

「人間の一生を、一本の線で描くとこうなる!」

というものをご紹介頂きました。

それが右の図。弧状になっています。

太陽が東から昇って南中し、西に沈んでいくような感じの線です。

人が産まれるとこの弧状の中に入り、

ある年齢(20〜40代)をピークに下降線になっていき

やがて死を迎えると、この弧状のラインの外に出て行きます。

私の祖父母世代は他界しておりますので、もうラインの外です。

両親は60代。ラインの下降線のところ(紫の丸あたり)におり、

私は右図の赤い丸のところにいそうな感じです。

もしも私に子どもが産まれれば、その子は水色の丸のところに登場します。

大谷師が恐ろしい、たとえ話をされました。

ある3世代ファミリーの実話です。

息子が3人いる、あるおばあさんは、めちゃくちゃ頑固者で、

ある日子どもたちの介護が必要になってしまい、

最初長男夫婦と同居することになりました。

が、あまりにも頑固だったので、長男夫婦が

「次男夫婦に見てもらって」とおばあさんを追い出しました。

次の次男夫婦も同様になり、

結局三男夫婦のところに、おばあさんはやって来ました。

おばあさんは、ちょっと懲りたのか、それとも三男の嫁が

かなりがんばったのか・・・

結局三男夫婦の家に落ち着き、そしてあの世に旅立っていきました。

そんな三男夫婦の息子(大谷師と仲良しなんだそうです)が

大谷師に・・・

「僕の両親(特に母親)は、祖母の介護、本当によくがんばっていた。

だから僕も両親に介護が必要になったら、最後まで面倒みるよ!」と

おっしゃったそうです。

このファミリーのお話しは、最後には「ハッピーエンド」な訳ですが、

もしもこの三男夫婦もおばあちゃんを家から追い出していますと、

自分の親を見捨てる、親の後姿を見て、

長男・次男・三男夫婦の子どもたち(おばあちゃんの孫)全員は・・・

「ああ。老いた親は、こんな感じで、見捨てるもんなんや。

よし☆じゃー、僕も老いた親は見捨てよう。」

・・・というように悟る訳・そんな人格者に育っていく訳です。

ほんと、「親の後ろ姿を見て、子は育つ」、はたまた

「親の言う通りではなく、親のしている通りに育つ」という

ある意味、本当に恐ろしい実話です。。。(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)

ってことでつまりは

より高く、素晴らしい、弧状をした、人生を

子や孫に送って欲しいと願う親や祖父母の方々は、

まずは己自身の人生の弧状を、よりよくせないけませんよ〜

というお話しでした。

それに関連して、大谷師がホワイトボードに

めっちゃ大きく、以下の言葉を書かれました。

「他人の邪(よこしま)を見るなかれ。

彼がなにをなし、何をならざるかを言うなかれ。

我が何をなし、何をならざるかを思うべし。」

いやはや。。。

最近、自分よりもデキテない人(尻拭いをされている人たち)に対して

“責め心”が芽生えていたよしこちゃんには

全く持って自戒のお言葉デシタ・・・(%とんかち%)(%痛い女%)

ほんと、「まず己」、そして「己のみ」です。

『さんげ』です。。。

法話最後のお話では、ある有名進学校と、ある定時制学校の・・・

学力的に天と地の差がある学校の子どもたちに、全く同じ内容の法話をされ、

その子どもたちから「感想文」をたくさん頂いた時の

大谷師の大きな気づきです。

師曰く、「感想文」は進学校の子でも定時制の子も

全く同じ内容だったそうです。

そこでの師の気づきは・・・

「進学校(学力が上)の子と定時制(学力が下)の子とは

『心という器(コップ)』は同じである。

しかしながら、その中に入っているもの(健全な愛情、知識、経験など)の量が

犯罪を犯すような心が荒んだ子どもたちと、

健全な成長をしている子どもたちとの差がある。」

この子どもたちの心のコップの中に

キレイ&健全な“赤色のもの”を入れる・入れないのは誰か・・・?

それは、その子どもたちの周りにいる大人たちである。

・・・本当に、深い、深すぎるお話しです。。。

法話の後、頂いた薬師寺の広報誌を見ていました。

その中に、小学3年生の女の子の作文が載っていました。

大谷師は、薬師寺・師事であり、

薬師寺別院・・・茨城県潮来市にある「潮音寺」の副住職さんですが、

その潮来市の女の子が作文の中で、

あの大震災による液状化現象で、

崩壊してしまった潮音寺(小さい頃から池のコイにエサをあげたり

親しんで来たお寺だったそうです)の現状を悲しんだ上で、

こんなことを書いておられました。

「・・・去年は『平和』という文字が(潮音寺内で)

ロウソクで作られていましたが、

今年私が見たのは「絆」の文字でした。

この文字にも、みんなの希望が込められているんだと知りました。

今年の夏、私が感じたことは、いつもどんな時でも、

ずっと努力を忘れないでがんばろうと思ったことです。

また、これから先みんなが困ることがあったら私は、

人のためになることをしたいと思い、

今まで大切なことに気づかなくて、とても残ねんだったと思いました。

でも今後、人のためになることをして、

家族みんなが喜ぶようにしたいです。・・・」

・・・と、書かれていました。

たった8〜9歳・・・一ケタの子どもが、

「人のためになることをして、家族みんなが喜ぶようにしたい」

って、真剣に思っているということに、まずもって深い感動を覚えました。

私でもそんなことを真剣に思い出したのは、

29歳終わりのお遍路体験以降の話です。

既にその子と、雲泥の差が開いております(笑)。

その次に思ったことが、一ケタの子どもたちが

そんなこと思うだけの、惨事(大苦難)やってんな・・・あの大震災って。。。

という、改めての感想です。

大阪は、被災地から1000キロ離れ・・・しかも震災時は

高知県でお遍路さんしていたもんですから、実際の揺れは体験しておりません。

最後に思ったこと、

それは、その女の子の周りの大人たちがきっと

そんな風に、「人のために」とがんばっているんだと思います。

もしもその女の子の回りに「火事場泥棒」の大人しかいなかったら、

彼女も「自分だけのために」って、落ちている誰かのものを拾って

自分のものにしたり、人を騙したり、押しのけて、

自分だけの復興しか考えていなかったと思います。

ほんと、日本人、まだまだ捨てたもんじゃー、ありませんね。。。

こんなこと、なかなかテレビ&マスコミで

あまり取り上げられませんが、

私たちの目の前にはなくっても&見えなくっても、

この日本のどこかで・・・はたまたこの地球のどこかで、

必ず、こんなに素晴らしい人の営み・・・“叡智”が

たくさん存在し続けていることを

私たちは決して忘れてはならないと思います。

私だけ、たった30分の法話でしたが(涙笑)、

今回も本当に清清しい気分になりました。

ありがとうございました(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)