靖国神社 昇殿参拝

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先日、東京に行ってきまして、

いろんなところに行き、いろんな人とお会いして来たのですが、

その中の2つのことを記したいと思います。

まずは、靖国神社の「昇殿参拝」についてです。

以前、妹と靖国神社に行ったのですが、

正式に参拝したいと思ったので、

今回の東京旅初日の16日夜、昇殿参拝をさせて頂きました。

先日行った時は、殆ど人はいなかったのですが、

その当時は「みたままつり」という

一大イベントをしていた関係で、

大阪では見たことも無い、ものすごい数の人が

靖国神社にどっと押し寄せていました(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)(%ショック女%)

ホンマ、めちゃくちゃ人に酔いましたが、

いくら夜店やイベント目当てであっても、

日本の若い人たちが、この靖国神社に多く集まって来ることに、

日本国の素晴らしさ、また懐の深さを感じました。。。

『靖国神社の由緒』は、

明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって

建てられた「東京招魂社」が始まりで

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、

その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

靖国神社には現在、幕末の嘉永6年(1853)以降、

明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、

日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、

ひたすら「国安かれ」の一念のもと、

国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、

身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた

尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。

私の母方の祖父は、戦前、鉄工所に勤めていた職人で、

その鉄工所代表で、中国の軍需工場に派遣され、

昭和20年7月12日(終戦約1ヶ月前)、

結核にかかり、中国で亡くなったそうです。

もちろんお葬式とか、遺骨とかはありません。

おばあちゃんの元に、「亡くなりました」と電報か何か来て、それでおしまいです。

その祖父は私の母とは一度も会うことなく、逝ってしまったそうです。

従って、私の祖父(産みの祖父)も

設定上ではその靖国神社の神霊に入っていることになります。

ですので、祖父母の右上写真を持って、

靖国神社の本殿に上がり、正式に参拝をさせて頂きました。

靖国神社の本殿の中は、私が「一日参り」をしている三輪大社などと違い

カラフルで派手な装飾品は一切なく、

古びた・・・濃い茶色をベースとしたシンプルな本殿で、

そのど真ん中に直径1.5メートルくらいの大きな丸い鏡がありました。

その鏡の回りには、深い茶色をした、

荘厳さあふれる龍な何かの美しい彫刻が施されていました。

その時はもう夜でしたし、

そもそも夜用の照明があまりないようで、

薄暗い中で、その鏡の前で、神主さんが祝詞を上げられ、

なんとも言えない雰囲気を持った、独特の空間でした。

鏡が南向きにあり、私たちは北向きに座っていて、

私は西端の前に座っていました。

私の前には、右上の祖父母の写真を置いていました。

(祖父母それぞれ抱いている赤ちゃんは叔父(故人・母の兄)です)

その本殿に座り、祝詞を上げ始め、土下座した瞬間、

全身が震えて、急に、どっと涙が出てきました。

めちゃくちゃヘンな感覚なのですが、

私が流しているのですが、私が流している涙でないという感覚がありました。

もしも明るい場所であれば、隣りの人に

「なんやこいつ〜」って不思議がられそうでしたが(笑)、

その点、薄暗くってよかったです。

祝詞が終わり、「黙祷のように目をつぶって瞑想してください」

(=故人に想いをはせてください)と神主さんに言われ、

背筋を伸ばして目をつぶっておりますと、

西の方向から、さーっと涼しい風が吹いてきました。

その風が何とも言えず、心地いいんです。

「ああ、私って・・・人間ってすべて『愛されている』ねんや」と感じました。

またその風の中から「すべてを流す」「すべてを許す」という声が聴こえました。

これを『魂の浄化・昇華』というものなのでしょうか・・・?

全く持って、日頃なかなか感じることのない、「黄泉の国からのメッセージ」。

摩訶不思議な感覚・体験です。

参拝後、祖父母の写真を何となく眺めていました。

今まで、この写真を見ると、

悲しさと切なさしかこみ上げて来ませんでした。

だって、祖父母双方が、いろいろありつつ、

お互い子持ち・再婚同士で結ばれたにも関わらず、

戦争というものによって、引き裂かれたのですから。。。

おばあちゃんはその後、戦後の混乱期の中、再再婚をし、

私の母はその「育ての祖父」によって、育てられました。

そんな経緯を、私の母から聴いておりましたので、

そんな悲しくて切ないイメージしかありませんでした。

だけど、これまた不思議なのですが、

ご祈祷を受けた後に、その写真を眺めますと、

そんなイメージは一切なく、「幸せ」というイメージに思えました。

そんな怒涛の人生を歩んだ、祖父母が幸せだったのか?

それとも不幸だったのか・・・?

それは今となっては分からない事実です。

だけど、その血を引き継ぐ孫の私が「幸せだった」と思い、

そして私自身の人生も「幸せだ」と心の底から

思えるようになったら、

その祖父母の人生も「幸せ」なんだということを確信した訳です。

靖国神社にも、他の神社にも「鏡」がありますが、

鏡とは「『己』を映すもの」であり、「『己の中にある己』を映すもの」であります。

自分が自分のことを「幸せだ」と思えば、

鏡に映る自分自身を「幸せな人だ」と思えるし、

自分が祖父母のことを「幸せだ」と思えば、

鏡に映る(自分のDNAの中に存在し続ける)祖父母のことも

「幸せな人だ」と思えるようになるんだ・・・ということです。

結局のところ、自分自身の幸せも、身の回りの人たちの幸せも、

そして見えない世界(神仏の世界)の幸せや未来も全て、

鏡が映す『己自身』にかかっている・・・

「運命自招(運命は自ら招く)」

・・・ということだと思います。

私は、今回の靖国神社の本殿参拝にて、

「運命自招」の本当の意味を、確実を掴んだという手ごたえがあります。

人並みの言葉ですが、

両親・祖父母、ご先祖様・・・

そしてこの国・世界の繁栄の礎となられた御霊に恥じないような

幸せな人生を、今後も確実に歩んで参りたいと思います。

それが、頂いた(頂いている)『愛』に対するご恩返しだと思います。

いつも見守ってくれて、ありがとう。。。