成長過程にある子どもには大人として伝えなければならないことが
たくさんあります
それが教育であり、先に生まれてきた人として先生が向き合います
しかしいじめ防止の教育はどのように行われているのでしょうか
学校や地域によりかなりの温度差があるようです
自殺事件が起きたときに他人事と考えるのか
他山の石とするのかで方向性は決定的に異なります
中にはいじめ防止の道徳の授業などで「いじめ」という言葉を使わない
『思いやり』という言葉で表現する学校もあるようです
「いじめ」という言葉は確かにインパクトがありますし
実際にいじめられている子にとって心理的負担になると判断されるのでしょう
しかし私たちがこれまで中学校で「いじめと人権」の出前授業をしたとき
いつも共通してひしひしと感じるのは
「子どもたちはこの話を待っていたのだな」「こんな話を聞きたかったのだな」と
いうことです
本当に瞬きもせずに食い入るように私の顔を見つめる子も少なくありません
最初はざわざわしていても次第に集中して皆が真剣な表情になります
教室にはいじめられている子、いじめている子、それを見ている子もいるはずですが
大人が本気で大事なことを伝えようとしていることだけは分かってくれるようです
学校のアンケートには本当の思いを書かない子もいますので
学校によってはオプションでアンケートの集計を当会に任せる場合もあります
その場合ははっきり子どもたちに説明し無記名で安心して書くように言います
個別ケースは把握できませんが、学校の全体状況や子どもたちの本音を
知ることができます
集計報告書を学校やPTAに送付して今後の教育に役立ててもらう主旨です
学校だけですべて完結しようとせずに第三者の教育力も活用して欲しいと思います
<ムクゲの花が次々に咲きます>