澤地久枝さんと松本哉さんの対談より

松本:最初のデモは原発事故から1ヶ月後の4月10日。リサイクルショップを経営している高円寺の商店街の居酒屋で友達とやろうと決めた。宣伝は10日だけで顔なじみからインターネットで伝わり15000人集まった。
日本は何か起きてもすぐにうやむやになる。今回の原発事故も少し時間がたつと政府は収束に向かっているようなことを言い出した。高円寺には外国人も多く海外からのニュースは収束どころか全く逆だと教えてくれた。こんな大変な事態をなかったことにしちゃいけない。今僕らは何かをやらないとだめだって。

澤地:私は平和憲法の理念を生かしていこうと亡くなった小田実さんらと2004年に結成した「9条の会」の呼びかけ人でもあり、今全国に7000以上の会ができその会員が皆脱原発のデモや集会を行っている。「憲法9条を守ることと原発に反対することは同じ」。小田さんは60年代に「ベトナムに平和を!市民連合」という市民運動を起こし「1人でもやる、1人でもやめる」と個人が自分の思いをまとめて行動すること、それが世の中を変えていくと言っていた。
国は本当にあてにならない。敗戦を旧満州で迎えたときから骨身にしみている。満州に渡った開拓団の多くの人が帰国できずに亡くなった。日本の軍隊が自国民を守ることを放棄したからで、引き揚げの経験が戦後を生きる原点になった。

松本:戦争というと教科書で習ったぐらい、でも国というかお上をあてにしていないという感覚は僕らの世代にも良く分かる。バブル崩壊後の長い不況の中で学生生活を送り就職も本当に厳しかったから、全くというほどいい思いをしていない

澤地:3・11を境に若い人は変わったか、以前は政治に無関心な人ばかりと言われた

松本:仕事をやりたくても職に就けない、家庭を持ちたくても養えないから結婚できない。「行っても無駄」と諦めてるから選挙にも行かないという人が多いのは事実。
 でも原発事故みたいに命や未来に関わる問題になると言わざるを得ない。町の若者にも政治がある、今原発に興味がないって言ったら逆に恥ずかしいぐらい。

澤地:原発事故で日本という国のたがが外れたと思う。もうみんな自由に物を言ってもいいんだって。原発事故そのものは最悪だけれど、これで世直しができなかったら、日本は本当に終わりだと思う

松本:これで直せなかったら自分達で問題を解決する能力がないと言ってるのと同じ
 日本のこれまでのデモは組合のおじさんが旗を振ってスローガンを叫ぶというイメージだが、今は自分の理想とか生き方とかをデモの中で表現している。怒りたい人は怒って、表現したい人は表現して、そういう自由が世の中を変える力になる気がする。

<イワシャジンは可憐な野草です>