日 時 平成24年2月24日(金)
場 所 西宮大学交流センター
講 師 大江 篤氏(園田学園女子大学教授)
長屋王の変とは、藤原氏が不比等の娘・光明子を皇后にする
ため、反対派の長屋王を除こうとした陰謀事件とされています。
その経緯は「続日本紀」によれば、729年の<2/10>下級
役人が、長屋王が呪いをかけ国家を壊そうとしていると密告、
<2/11>密告の罪について尋問、<2/12>長屋王とその主な
家族が自宅で自刃・・・とあり、政府の要職にある人をたったの3日間で死に至らしめたものです。
この記述から二つの疑問が浮かび上がってきました。一つ目は、尋問したのにその内容や結果の記述がないこと。二つ目は、当時自宅での自害は認められていなかったこと。 ・・です。
このことから藤原氏と長屋王の対立のみではなく、聖武天皇も関与していたとする説があります。
聖武天皇は、父は文武天皇(天武天皇の孫)ですが、母は藤原宮子であるのに対し、長屋王は、父が高市皇子(天武天皇の皇子)で、母が御名部皇女(天智天皇の皇女)と皇室のサラブレッドであったことから聖武天皇に弱みがあり、密告に対し冷静な判断が出来なかったのではとするものです。
その真意はわかりませんが、その後の同書の738年の記述に「東人は長屋王の事を誣告せし人なり。」とあることから、嘘の密告であったことを明白にしております。
結局 長屋王は無実であり、これらが陰謀事件とする所以ともなっているようです。