それから、「やる気」についてですが、
やる気があって、体力がますます出てくる訳ですが、
やる気が完全になくならないうちに
物事を成就させないといけないと思いました。
体力的に限界を超えると
人間の生命欲が、無理矢理やる気を起させないように
精神的にやる気を減少させます。
その心境はまるで、「ガス欠」になって
止まってしまった自動車のようです。
いったんそんな状態になると、
次にまた車を動かすのに、多くのエネルギー(手間)が
必要になろうかと思います。
ですので、「ガソリンがなくなりそう」と思ったら、
早めにガソリンスタンドで、ガソリンを入れるのが
最もよい方法だと思います。
それと一緒で、人間も何か大きなことを成就
させようとする時、
「しんどいな」「やる気がなくなって来た」と感じれば、
こまえに休憩や気分転換を間に挟みますと、
やる気が持続します。
だから私は、この31キロのお遍路道で、
(はじめはやる気があったので、かなり休憩しませんでしたが)
特に最後の8キロは、2キロ感覚で15分程度の休憩を
挟みました。。。ほんま、最後の8キロはキツかった。。。(%とんかち%)(%痛い女%)
しばらくすると内陸部に入り、
山の合間の標高80メートルくらいの登り道を
ゆっくり上がっていきました。
日ごろ何気なしに「道」を歩いていますが
「道」というものは、とっても奥深いと
遍路道を歩いていると気づきます。
「早く目的地にたどり着きたい」
「ラクに目的地に行きたい」
「ある特定の場所まで行ける道があれば便利!」
などと、先人たちが想いの結晶の賜物であります。
はじめは何もなかったところに、あぜ道が出来、
何人もそれに沿って歩き出し、
そして道に進化して行ったんだと思います。
この谷間の道も、典型で、
山の頂上経由に道はなっておらず、
ラクに登れる最も低い場所に道が走っています。
「しんにょう」に「首」と書くこの「道」という漢字。
たくさんの首(人間)が
列を成すように過去から以来へと
線を描いて来たというのが「道」という漢字の
直接の意味かと。
場所と場所、人と人、そして過去・現在・未来を
紡いで来た、一本の糸のようです。
一方、日本には「華道」とか「柔道」とか
「道(どう)」という精神があります。
それを極めることによって、人間本来の在り方に向かって行く
という一種の修行スタイルです。
その「道(どう)」という意味合いも、
なんだか「道(みち)」という現実的で具象化されたものと
似ていますよね。
早く、楽しく、何かの幸せや真実を掴む為の「道」。
日本人と日本語の奥深さを
この道を歩いたおかげで、なんとなく見えてきました。
深い感動と、感謝です。。。(%ニコ女%)(%王冠%)
松山市(旧・北条市)から
今治市に入りました(%笑う女%)
そのすぐ側にあったうどん屋さんで
ランチをしようと思っていた、丁度正午。
すると地図にあったそのお店は廃業していました(%ショック女%)(%涙%)
今年冬にお遍路した時、
アテにしていたお店が同じく廃業してて、
3キロくらい離れたコンビ二の外の吹きさらしのベンチで
ぬるいオデンなどを食べた・・・
精神的に虚しい&チョー寒い思い出があります。
そんな経験があるので、
「もしも廃業していたら、3キロ先の小さな町にある
コンビ二で何か買って食べよう」と心の準備をしていました。
その心の準備のおかげで、
精神的に参ることなく、元気に歩を進めることが出来ました。
やっぱり、(心の)準備・心構えって大切なんだと
体験をさせて頂きました。
すると、地図にはない喫茶店が
その廃業したお店の200メートル先にあり、
びっくり仰天っ(笑)。
正にこれぞ「天の采配」(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)(%笑う女%)
人事を尽くして朗らかに天命を待っていると、
天はこんなご褒美をくれはるんやなぁ〜って、スナオに感動♪
その喫茶店はとっても新しく
お洒落な感じで、
サービスランチ(コーヒーつき)で850円で
右のような、ものすご〜いボリューム!
うどん屋さんよりも、ゼッタイこっちの方が良かったです(笑)。
海がが見える席で休憩しながら、
優雅にランチをマンキツしていますと、
『訳ありカップル』と、母・娘・娘の息子(4歳くらい)と娘(2歳くらい)が
入店してきました。
足はだんだん疲れてきましたが、
脳はまだとっても元気だったんで、
横目でチラチラ見ながら観察することにいたしました(趣味:人間観察&分析・笑)
まず、訳ありカップルなんですが、
男性が40くらい、女性が35歳くらいで、
同棲はしているが、結婚はしていないという感じ。
男性は作業着を着て、いかにも「イカツイ系・建築業勤務」
って感じで、女性は、男性同様、イカツイ目&ちょっと
ぽっちゃりした感じでした。
とにかく会話が無さ過ぎる不思議なカップルでした。。。
まず、男性が目の前に女性がいないような感じで
新聞を読んでいるんです。
どこか違うところに意識が向いていて、常にイライラしている感じ。
女性は、男性のことが好きやし、
他にいいオトコはおらんので、別れる気はないけど、
こっちに意識を向けて欲しい・・・という欲求不満が常にありながら
彼の無口に合わせて、自分も無口になって
黙々とカツサンドを食べてはりました。
退店する前、女性が男性が読んでいた新聞を見て
「今晩、『ワンピース』の映画があるわ」
(※大阪弁じゃなく伊予弁で話しています)と
ちょっと嬉しげに静かにしゃべりますと、男性曰く
「『ワンピース』って続きもんやろ?全然おもんないし」とバッサリ。
続いて女性が
「続きもんやなくて、映画やから、一回で終わるで」と言うと
男性は
「・・・。」
以上、会話終わり。
オイオイ、なんやこの訳ありカップルわ〜(%痛い女%)
って、一人でハラハラ・ドキドキ・・・
余計な心配をしている、よしこちゃんでした(笑)。
その横の横にいた、母・娘・娘(私と同じ35歳くらい)の息子(4歳くらい)
と娘(2歳くらい)も、観察し甲斐のある(?)人たちデシタ。
娘はまだ30代やのに「腰が痛い」が口癖で
私が聴いた限り、5回は言っていたかと思います・・・
(って数えるなよ〜・笑)
他にも数人お客さんが入っていたのですが、
その息子がやたらめったら騒ぎ、席でじーっとしていないんです。
その様子が楽しくうつるのか、娘も一緒になってウロウロするんです。
何回娘が感情的に怒っても、彼の言動は面白いくらいに変わりませんし、
悪気も全然ありません。彼はただ、ムショ〜に騒ぎたいだけなんです。
きっとこんな息子が小学校に入ると、
学級崩壊の火付け役になりそうです。。。(嘆)
私はどちらかといいますと、彼の言動よりも
彼に怒りまくる母親の声の方が、かなり迷惑だと感じたんですが(笑)、
その娘はそんなこと、かけらも持ってはらないような感じです。
とにかく、騒ぎまくる息子に腹立って仕方が無い様子でした。
そうこうしているうちに、子供同士だじゃれあって、
下の娘さんが転倒し、泣き声が店内を覆いつくしました。
そしてその母親は息子に更に激怒し、
「アンタ!何で妹を押したん!?頭でも打ったらどないすんの!??」
って言いました。
息子は、めっちゃたどたどしく、しかもめっちゃ言い訳っぽく
「ぼくは、押したんやなくて、●●(妹の名前)が「通せんぼ」して
邪魔されたから、こうこうして、手で横にしただけやで〜」って言いました。
まさ更に母親は更にヒートアップし、
「結局、押したことに変わりないやん!
どんなことあっても、押したらアカン!!」って
店内がエライ雰囲気になりました。
その母親が元気のない声で「ああ、腰痛い・・・」と腰を抑えながら、
私の前を通り、みんな去って行きました。
嵐の後の静けさ・・・状態でした(笑)。
先述の訳ありカップルと、この母子には
何らかの『共通点』があるような気がしました。
両方、「何か」がうまく、かみあっていない・・・
「何か」が空回りしている・・・そんな気がしました。
「男女(夫婦)」「親子」という、親密な関係の中にでも
確実に存在する『対立(価値観の違い)』の状態が
とっても深く存在し続けていて、
双方共に、余計なエネルギー(つまり「ストレス」)が
重くのしかかり続けているように見受けられました。
これらの方々に共通する『足らないもの』は。
お互いがお互いの違いを認め合う心だと感じました。
親しい間柄こそ、その心は必要になって来ると思います。
自分の主観(物差し。価値観)で相手を計り、
その物差しで「アンタは私よりも5センチ短い!」などと
罵り合い・・・もしくは逃げたり、無視し合ったりしているような感じです。
相手が『ワンピース』が好きであるのもないのも、
子供がうるさくて騒ぐのも、仕方が無いことなんです。
対立している相手にお願いしても、嘆いても、憤っても
何も変わりはしないんです。
一方で、自分の要望や希望通りの反応が、相手から返って来なくても、
自己否定されたと思ったり、自分の考えが間違っていると思う
必要もないかと思います。
「どっちも正しい」という場合も、結構あろうかと思いますし。
感情的になって、感情に流され、過度に怒ったり
諦めたりしないで、常に客観的視野を持ち、
冷静沈着に相手の状況を把握し続け、
それに沿った反応を繰り返す必要があろうかと思います。
また、相手に対する要望ばかりが、先行する時、
心は「わがままな自分」つまり『自我』に傾いています。
物事を正確に判断出来ず、マイナス思考・悲観的に
なりやすい傾向になります。
そんな状態が続けば、ますます事態は泥沼化です。
相手に、何かして欲しい、こうなって欲しいことがあるならば
まずは自分自身がそんな心理状態から脱却し、
身の回りの方々(自分の親やパートナーなど)が
より幸せになるためのアクションを起していかないと、
その人自身は、永久に心身の平安は訪れないような気がしました。
(つまり『無我』の心境こそ、必要かと)
・・・こんな感じで、意識を「人間観察&分析モード」に
切り替えますと、永遠に分析し続けてしまいます(笑)。
・・・なぜ、私がこんな観察・分析をしまくっているのか?
それは、「人のフリ見て、我がフリ直せ」という考え・・・
人様の現状(失敗と成功の原因)を的確に把握した上で、
ではどうすれば、解決に向かって行くのか?と、
なるべくこと細かい推論を立て、私の脳に蓄積しておくことによって
今後自身や、身の回りの方々に同じような現象が現れた場合、
それを活かして、早く解決させたいからなんです。
こうやって、非日常空間で、脳をフル回転させるのんって、
正に脳が求めている快感でございます(笑)(%笑う女%)(%王冠%)