四国遍路旅 メモ帳 より 〜主観と客観について〜

四国遍路旅から帰って来てヤバイ(*_*)

くらいにドタバタ中です☆

…まるでサメがウジャウジャいる

ハワイの荒波の上で、サーフィンしている心境デスガ(笑)、

スリム満点で?おかげさまで元気に

楽しく過ごさせて頂いております(‐人‐)〜☆

隙間時間に、荷物の整理をしてますと、

お遍路中に書いたメモが見つかりました。

そのタイトルは『主観と客観』です。こう書いていました↓

…両目(2つの目)で見るから立体的に見える・より正確に見える。

どちらか片目だけでは、絵画のように

二次元・平面的・一面的にしか見えない。

片目だけ…つまり『主観』だけであり、自分の方向から見た価値観だけ。

もう一つの目は『客観(客観視)』。

自分以外の他者(相手や第三者)の主観・物の見方を

どう的確に捉えていくか…?が大切なんだと思う。

…子供の視点は『主観』のみ。

子供時代は、人間として生きるベースとなる主観(アイデンティティ)を

形成をすべき重要な期間。

だけどいつまで経っても、主観だけ・自分からの物事の見方だけで判断し

一喜一憂している大人が意外にいる。

身体的に生殖機能が成熟したり、

成人式を迎える年齢に達すると『大人』とみなされるが、

“精神的に成熟した大人”という観点からすれば、

もう一つの目である『客観』の目がなければ、

身体&年齢的に大人であってもまだ中身は『子供』だとも言える。

…話変わって、別の観点から考えてみた。

『お伊勢参り』等、江戸時代からお参り(レジャー)が

大衆化して行ったが、

その時代の一般大衆の交通手段は『歩き』しかなかった。

現代は車、バス、電車、飛行機、自転車…いろいろある。

そんな感じで、交通手段一つにしても“選択肢”が増えた。

職業も、生き方も増えた。

その増えたことが、今を生きる私たちの、

よりよい幸せに繋がっているかどうかは本人次第。

選択肢がない時代の中にも、ある種の幸せがあり、不幸があった。

人生はその人自身で評価や判断をするものであり、

まず自分…『全て自分』で責任を持ち、決断して歩んでいくもの。

とにもかくにも、選択肢が増えたことは、本当に有り難いこと。

先人たちの篤い夢や願望…つまり叡智の結晶に思わず目頭が熱くなる。。。

一方で、こんな進化したスピーディーな時代に

あえて『歩き』を選択するあたりも、なかなかいいことだと思う。

あって当たり前だと思っている、

便利な乗り物たちの『有り難味』を今、ひしひしと感じている。

そして、当然のことながら、命があるからこそ、今こうして考え、歩けている。

生きていることに、ひたすら有り難味を感じる。

ほんま、なんやかんや言っても、

先人たちのおかげで、ステキな便利さ・幸せを享受させて頂いてます。

…『恩意識』をひしひしと感じます。。。

・・・とまあ、こんな内容のメモ書きがありました。

記憶の隅に、なんとな〜くそのようなものを書いた記憶があるのですが、

なんせ、頭がかなり真っ白で歩いておりましたので、

はっきりとは覚えておりません(笑)。

お遍路中は、全ての感覚が一気に研ぎ澄まされ、

いろんなものに敏感になるという側面もあります。

第一感・第六感的なものが、物凄く冴えます。

そんな時に、ふっ・・・と思いついたことを

忘れないようにメモを取っておくという習慣を

今後もしっかりと継承して行きたいと思います。

毎日の多忙な生活の中におりますと、

あの夢のような遍路道での日々が、一気に遠退き、

そして、深くなつかしくなります・・・。

ああ、早く10月末にならんかなぁ〜(%ニコ女%)(%星%)(笑)