毎度です〜(%笑う女%)(%晴れ%)
ボチボチ☆フラフラながらも無事、
高松市街・栗林公園側のビジネスホテルに
無事着きましたぁ〜(%笑う女%)(%ハート%)
ホテルの高速インターネット回線経由で
一気にこれまでの遍路行のご報告を
させて頂きま〜す(%ニヤ女%)(%星%)
21日(木)朝8時過ぎ、
丸亀駅から歩き出しました。
しばらくすると、お客様からお電話かかってきて、
急遽送って欲しいデータがあると言われたので、
坂出駅側の喫茶店に入りました。
その喫茶店の中も、外の風景も
年末の慌しい風景、一色でした。
せわしない年末の日常風景。。。
お遍路さんの私にとっては新鮮な非日常風景なんで、
冷静に客観的に見ることが出来ます。
こんな『訓練(心眼・第三の目の錬磨)』を繰り返していると、
日常生活でもそのような見方が出来てきます。
「物事をありのままに見る」
つまり、①正しい情報を入手し、②正しく脳内で処理し、
③正しい言動を実践する。
この三段階を適正且つスピーディーに行わないと、
後でいろいろ問題が発生するので、
この心眼の練磨は人間にとって非常に重要だと思います。
喫茶店の中に入ると、
おばさん4人が、ワイワイお話しされていました。
殆どが自身や他人の病気や、心配事、そして文句などの
マイナスの会話でした(%ショック女%)(%涙%)
なるほど・・・4人とも、不足不満っ面しており、
そんな“気”をバンバン出していました(笑)。
“気”というものは、面白いもので、
目に見えない心から発しられているもの(波長?)だと
私は思っています。
つまり、なんとなく、その対象物の心が見えてくるということです。
歩き遍路行のおかげで、この『気を読む』という
感性(第一感)の練磨がある程度出来た感じで、
人や物、環境の気を読むことにより、
上記の「①正しい情報を入手する」ことが出来るようになってきました。
ただ、心身の健康状態がおもわしくない時や、
読みたいと思わない時は、絶対に読みません。
間違った読み方をしたりします(涙)。
・・・遍路の醍醐味の一つは、
人生で二度と出会えない方々の
日常生活に入ることが出来ることかと思います。
なにげない日常の…日本の田舎の
他愛のない人たちの生活のいち風景、
方言バリバリの会話に、
なぜか万感の思いがフツフツと湧き、
『日本っていいなー、日本人ってなんて
素敵なんやろーって』思います。
人の悪口言ってる先述のおばちゃんたちも
何だか面白く可愛いです。
どこに暮らしてる人もそれぞれの苦難あり、
幸せがあるんやなぁ…って思います(%ニコ女%)(%音符1%)
今回・・・最後のお遍路行は、
「歩き方」を変えてみました(%ニヤ女%)(%ハート%)
そのきっかけ・理由です。
尊敬する倫理法人会の先輩が、今
カラダを柔らくする実践に夢中になっておられます。
先日お会いした時も、前屈運動をされてはりました(笑)。
ご自身から、その真意をまだ聞いていませんが、
きっと、カラダが柔らかいとココロも柔らかくなるからだと思います。
(違うかったら、すいません)
何故なら、カラダとココロは相関関係にあるからです。
どちらかがAの状態だと、もう片方もAの状態になって行くということです。
例えば、ココロでマイナスのことばかり考えていたら、
病気になる。。。という感じです。
ココロは見えないし、どこにあるのかさっぱり分かりませんが、
カラダは目に見えるし、科学的にどこをどうすれば、
柔らかくなるか?分かるようになっているから、
カラダからココロを柔らかくする方法は
かなり合理的で有効かと思われます。
ですので、私は
地面と対立して、たたきつけるような歩き方を捨てて、
地面と仲良く&やさしくなでるような感じ・・・
地面と同一するような感じで歩くようにしました。
結果的にやっぱり、そうすることによって、
足の痛みが殆どなく、ますます楽しく一日を
歩き切ることが出来ました!
自身の足をいたわり、地面をいたわり、そして感謝しながら歩く。。。
また新たな&ステキな気付きでした。
この『ココロを柔らかくする方法』は、今の遍路行の中で、
結構考え中で、もう少しで文書化出来そうなんで、
後日お知らせしたいと思います(%星%)
80番・国分寺の側で、
地域住民と障がい者の方々が協働で開いた
お遍路さんの接待所(休憩所)がありました。
そこは、お食事&軽食屋さんにもなっていて、
小腹が空いた私は入っていきました。
栗ぜんざいを注文したのですが、
出てきたのは普通のお餅のみのぜんざいでしたが(笑)、
価格は200円とチョー安価!
そして何といっても、店内の雰囲気(気)が
最高によかったです(%笑う女%)(%ハート%)
店内には日本の童謡がかかっていました。
更に作業所のみなさんや
次から次へ入ってくる人たちとの会話を聞いていたら・・・
つまり、みなさんの何気ない普通の日常生活の風景を
眺めているだけで、何だか涙腺が緩みました。
みんな、それぞれの場所で、それぞれの人生を
せいいっぱい歩んでいるんやな・・・。
人様がどうこう評価するもんじゃないよな、人生って。。。
そんな当たり前のこと、感じました。
だから私の人生も、もっと人様の評価がどうであろうと
信念を貫いて、我が人生を極めていこうと、ますます思いました。
そしてますます、日本人の多様性・・・素晴らしさを実感!
やっぱり日本は素晴らしい国や〜っ(%笑う女%)(%王冠%)
帰りしな、「お接待です」と
タオルとちょっとしたお菓子、
そしてお地蔵さんの形をした折り紙を頂きました。
お店を出た瞬間から、もう号泣です。。。
嬉しすぎです。
本当の幸せな人とは、『与えられる人』なんだと思いました。
得れば得る程、誰かがなくなり、
与えれば与えるほど誰かが増えて、
その人からは感謝が、
天からはその人がその時々に必要なものが与えられる。。。
人よりも苦難が多い人ほど、
『与えられる人の方が幸せ』という
真理に近づけるのではないでしょうか?
世の中って、あのような方々を“障害(がい)者”と呼んでいます。
だけど、所謂“健常者”よりも、
真理を知っているような気がしてなりません。
つまり、仏に近い存在だということです。
「人間がどうすれば、最高の幸せを手に入れることが出来るのか?」
そんなこともこの遍路行で考えていて、
だんだんと文書化出来ています。
喜んで与えられる人の心の根底にあるのは
『感謝』だと思います。
有難い・・・有るのが難しいとちゃんと分かっている。
きっと、健常者と違って、身体能力が劣っているからこそ、
能力が有るということに対する感謝や、
命あって生きていることの感謝の力が強いんだと思います。
だから、体力的にも精神的にもしんどい中、がんばっている
歩きお遍路をスナオに応援したい!と思い、
このような場所が生まれたんだと思いました。
「私はまだまだ感謝行が足らない」
そんなこと、感じました。
頂いた物の単価の問題ではなく、その物に込められている気持ち。
ほんと、ぐっと来た。
ここまで素直に強烈に真心込めて、
私は誰かに何かを与えられているのか?正直疑問。
「遍路行は、感謝行」
私はそんな側面が遍路に存在すると思っています。
お遍路行が終わった後、本当の感謝行のスタートする。
「ああお遍路、ゴールして終わった!」とそこで全てを終わせてしまえば
1232キロ歩いた意味が無くなる・・・。
そんなこと、実感いたしました。