12時過ぎからサロンで民宿で頂いた
お弁当を食べていたのですが、
ここでまたまた計算ミスをしていたことが発覚っ!
このサロンから大窪寺までは8キロだと思ってたんですが、
そのルートはいったん標高740メートルまで登って
お寺がある450メートルまで下がる驚異的なルートであり、
じわじわ〜と幹線道路沿いに登っていくルート
(本来・昔からの遍路道)は11キロもあるんです。
つまり、時間的に11キロの方を歩く方が早いんですが、
問題は、大窪寺から戻るバスがお寺発15時51分を
逃すともうバスがなく、帰れないということなんです(涙)。
12時半にサロンを出て、1時間4キロのペースで、
休憩しないで行ってもお参りする時間でギリギリになってしまします。
だから私は焦りました。。。
永遠と続くなだらかな上り坂は焦りや寒さも加わり、
辛いものとなりました。
まだ足や腰が痛いのは過去何度もあり、我慢きくんですが、
寒さで身体が冷えて、朝以降に食べたものが
胃であまり消化されていないということがはっきり判る程に、
胃腸から鈍いだるさを感じ、
今までの遍路行になかった‘汗’をかいていました。
突然、大窪寺まで後10キロのところで、
ふっ…と何かが『割り切れた』爽快な心境になりました。
『もう遍路はええや〜。おなかいっぱい、満たされた、終了っ!!!』
って感じです(笑)。
この心境は、一回目のお遍路後、
88番から1番の霊山寺まで歩いてた時にふっと感じた、
インスピレーションと同じでした。
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・・・今から6年前、
29歳の最後に折りたたみの自転車で
一気にお遍路さんをした後、
その翌年の夏に、88番・大窪寺から、
1番・霊山寺まで歩こうと思いつきました。
ところが、その直前に、ある方から、
「本来のお遍路のルール(弘法大師の足跡を辿る旅)は、
88番終わって、そのまま高野山に行くのであって、
1番に戻って、最後にまた納経をするのは、
1番の霊山寺が(自身の納経代300円を得るために)
勝手に言い始めたものである」と教えて頂いたんです。
私は納経帳を1番で買ったのですが、
実はそこで売っている納経帳だけは、
「最初に回り始めた場所にもう一回回った時の為の納経欄」
というものが存在しています。
殆どの方が1番から始められるので、
多くの方は1番に2回納経されに来る訳です。
年間お遍路さんが納経代としてお寺に支払うお金は
なんと☆総額5000万円なんだそうです(驚)☆
丸亀市倫理法人会でお会いした、松岡さんが教えて下さりました。
ですので、1番のお寺は、その金額以上の
納経代が集まるということです。
(しかも宗教法人なんで、税金ゼロです)
いやはや。。。これだけ取っても、お寺ビジネスって、
結構儲かる・・・黒い部分があるなーって思いましたし、
真剣に88番から1番戻っておられる方もおられ、
ウソがだんだんマコトになって来ているようです。。。
だけど、30歳の夏に88番から1番まで40キロ弱を
歩こうと思ったんです。
歩いていますと、『遍路の風』がないことに気付きました。
『遍路の風』とは、お遍路さんがずっと歩いてきた
『風』(気)のことです。
『霊場』と呼ばれるだけあり、霊気が漂っているのが遍路道です。
そこを歩いていた先人たちの想い・念・霊気が
今もその道に、なんとなく香りのように、残っているんです。
その“気”がないと、私は感じました。
その瞬間、
「ああ、私の場合、この88から1までの道は
歩く必要性がない」と悟りました。
そこから、歩くのが急に嫌になりました。
「バスかタクシーに乗ってさっさと帰ろう」と思いました。
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・・・そのような30歳夏のエピソードと
同じ悟り・気付きを感じました。
その30歳の時は、その気付きを得た約10分後に、
私の前に乗用車が止まりました。
「もしよかったら乗って行きませんか?」と
助手席のおばさまがおっしゃってくださりました。
運転席にはだんなさんがおられました。
私は『渡りに船』状態で、
乗せていただくことにして、
お遍路の話を、大阪人らしく、面白おかしくお話させて頂き、
2番の宿坊まで一気に送って下さりました!
お別れする時、おばさんが「何かトラブルとかあったら、
連絡してきてね」とお名刺を頂きました。
おかげさまで無事何事もなく終わり、大阪に帰った後、
そのおばさんにお礼として、私の一回目のお遍路の体験記の冊子を
贈らせて頂きました。
するとすぐに大きな箱に入った「鳴門金時」が
おばさんからごっそり贈られて来たので、
慌てておばさんにお礼の電話をさせて頂きました。
するとおばさま曰く・・・
「お礼を言いたいのは私の方なのよ・・・
実は、あなたと会う少し後ろの交差点で、半年前
息子が交通事故で亡くなって、
その現場に始めて行ったのですが、
そこで動揺し眩暈がしてパニックになっているところに
あなたと出会ったの。
あなたのおかげで、気がまぎれてよかったんです」
・・・え!?って感じでした。
そんな深刻に見えなかったんですが。。。
その息子さん、きっと私と同じくらいの歳だったと思います。
ほんと、“逆縁”ほど辛い行はないのかも知れないな・・・と
思ったのと同時に、
人間はいつ命が終わるかは分からない。
だから命を大切にして、一日一秒を大切に生きないと
いけないなって痛感いたしました。
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(右写真は乗せて頂いた軽自動車のお見送り写真。
かなり遠くですが、ちゃんと写っています)
・・・以上のような30歳夏の遍路の
思い出を思い出しながら
35歳冬の私は、腹痛も抱えながら、
黙々と歩いていました。
すると前に一台の軽自動車が止まっていて、
女性の方が車から出て、少し先まで歩いてまた車に乗り
運転席の男性の方と会話していました。
「こんな何も無い山道で、不思議な行動をしている方々やな」って
思っていますと、女性の方が私に・・・
「あ。お遍路さん!もしよろしかったら、乗っていきませんか?
丁度、大窪寺の側まで行くんです!」っておっしゃりました。
・・・え!?
ずいぶん、“前置き”が長くなりましたが(笑)、
30歳の夏と、全く同じ状況に仰天しました☆☆☆☆☆
「もう歩かなくていい」と悟った瞬間、
こんなことって起こるんですね!!
(そのお二人は、道路が凍結していないか確認していたそうです)
ちょっとためらいつつも、
全然あやしくない50代の方々でしたので、
早速乗らせて頂き、一気に10キロ、大窪寺まで行きました。
車だとあっという間に20分くらいで着きました。。。
ほんと、こんな時ほど、車に対する感謝の念が
深まることはございません。。。
おばさんの方は最近車でお遍路さんを回りはじめられたそうで、
おじさんの方は、なんと☆先達さん顔負けの
『最強のお遍路さん』でした!!
聞きますと、托鉢&野宿しながら1番から歩いて回り、
88番まで行って、1番まで戻り、
そこで終わりかと思いきや、
今度は88番まで行って、そこから今度は『逆打ち』で歩いて
1番まで戻って来る・・・という全日程60〜90日の
桁違いの遍路行を何回もされたご経験のある方でした(驚)☆
他にも四国各地・全国各地にある
ありとあらゆる遍路行を体験されており、
「この方は遍路をするために生まれて来た」という
後光の差しまくったお方でした。
こんな凄い“大先達”さんに、最後の最後に出会えて、
私は本当に嬉しかったです。
その方は、こんなことをおっしゃってはりました。
「両方高知県だったけど、僕は、お大師さん(弘法大師)を2回、見たことあるよ。
今、高野山におられても、今でも四国も回られているようですね」
遍路道で出会う、スゴイ系(スピリチュアル系)のお遍路さんの方々から
「お大師さんを見た」とか「お大師さんは今も回っておられ、
そのお姿を見れたらとってもいいんですよ」って
教えて頂いたことがあります。
このおじさんは、さすが2回も見られただけあって、
心眼力・第三の目は最強のようです。
私だったら、お大師さんが側にいても見えません(笑)。
最後、お別れする直前に、おじさんが私に
以下のようなことを言われました。
「“善”の行いをすれば、必ず“善”が還ってくる。
現代でも托鉢をする人はいて、
その中には『よくない(行いをする)人』もいます。
その見極めはとっても難しくなっています。
だけど、ちゃんと見極めて、『よくない人』には
金銭をあげないようにしなければなりません。
(後、その人の為にあえて苦言を申す必要もあるかも知れません)
それはあなた自身のためであり、
そしてその『よくない人』のためでもあります。
金銭をあえてあげないことによって
『よくない人』を正さなければなりません。
仏教にも『天罰』のようなものがあり
(神教の世界と違い、露骨にはないそうですが)
いろんな悪い出来事が起こって来ますが、
自らの悪い行いによってそれが引き起こされていると気付き、
自らの言動を変えなければ、永久に悪い出来事(縁)から開放されない。
つまり“悪”を行えば、“悪”しか還ってきません。
だから、これからもずっと
『“善”の行いをすれば、必ず“善”が還ってくる』
を忘れないで生きていってください。」
私はこの遍路道で、お大師さんを見たことはありませんが、
このお方がお大師さんに見えました。。。
最後の最後に、本当にもの凄い出会いをさせて頂きました(%笑う女%)(%王冠%)
<つづく>