子どもひろば15周年を迎えて その2

都内の子どもの人権研究会に毎月通い
多くのことを学びましたが、
私は現場主義なのでその成果を子どもの為に
還元する機会がないまま研究を続ける意義は
見いだせませんでした。

そんな中で子どもの人権団体の全国大会を主催した時
九州在住の方がアメリカの
「暴力防止教育プログラムCAP」のマニュアルを翻訳して
活動に取り組み始めている情報を得ました。
これまでの日本にない全く新しいアプローチの
ロールプレイを中心とした参加型プログラムで、
大人として子どもに伝える責任を果たせる活動でしたので、
早速その養成講座を受け1997年に
日本で33番目のCAPグループを立ち上げました。

その2年前1995年に阪神・淡路大震災が起きて
全国的にボランティア活動への関心が高まり、
熱心な学生ボランティアが次々に入会して来ました。
若い彼らの感性、率直な意見や感想は
活動の幅を広げる大きな底力となりました。
ワークショップの出前授業や講演会を通して
多くの子どもや保護者に出会う内に、
次第にアメリカ製のCAPをそのまま実施するだけでは
今の日本社会のニーズには不十分であると判断しました。

例えばいじめでも低学年と高学年では全く様相が違いますし
人権の理解力も年令差は明らかでした。
当会ではワークショップは生き物だと考えていましたから、
その都度参加者とのやりとりをふりかえり、
ミーティングでシナリオを検証し改善を重ねました。
保護者向けの講演も子育てだけでなく、時事ニュースも取り上げました。
アメリカと日本では教育環境、家庭環境、文化自体が違うのですから、
日本の子どもや保護者に理解しやすいように工夫し試行錯誤するのは
教育に関わる団体として最低限の努力だと思いました。

しかし1997年神戸連続児童殺傷事件を機にCAPへの関心は一気に高まり、
巨大な全国組織になったCAPセンターは「クオリティーの維持」を掲げており、
「クオリティーの向上」を目指す当会とはかなりのギャップが出来てしまいました。
同センターでは「シナリオを一字一句勝手に変えてはいけない」というのですから
驚きでした。
ずいぶん意見を述べたり議論もしましたが、結局かみ合うこともなく、
当会は全国組織を脱退して独自の道を行くことにしました。

行政からの依頼はCAPセンターを通して全国のCAPグループに
割り当てられる傾向にありましたから、当時としては厳しい選択でしたが、
組織は巨大化すればするほど妥協と惰性で形骸化するという事実を再確認しました。
その後当会はCAP高学年向けも作成し、保護者向け講演も毎年改善しています。

<梅の花が咲く頃です>