戦争孤児のこと伝え続けたくて

「お菓子放浪記」 作家 西村 滋より

*21歳から25歳頃まで戦争孤児が暮らす
東京の施設に雇ってもらった経験も基になっている
そのころを書いた作品は石原裕次郎主演で
映画「やくざ先生」にもなった

戦争孤児は今日まで一緒だった親が
一晩のうちに空襲で虐殺された子どもです
13万人といわれますが、はっきりした数すら分からない

彼らは大人以上の経験をしていた
悪さを説教されても
「戦争孤児が立派に生きていったら
戦争をやった奴らが責任を感じないだろう」とか
すごいことを言う子が何人もいた
物を書くバックボーンになった

*母は7歳の時、父は11歳の時に死にました
そういう生い立ちであんまり苦しいから子どもながら死のうと思って
名古屋の納屋橋から飛び込もうとしていたら
「しゃれたまねをするな」とひっぱたかれた
酒の匂いがするおじさんです

屋台で舌が焼けるような甘酒をごちそうになってこんな事を言われた
「死んだら楽になったことが分からないだろ。生きて楽にならなきゃだめだ」
それからはうれしいことがあると、名も知らぬおじさんに
報告するつもりで納屋橋に行きました
結婚した、子どもが生まれた、ベストセラーになった、映画になった

*人間はみんな不幸なんです
だから幸せを道端でもらったり拾ったりして、人にまた返しながら生きる
でも道端の幸福を拾える人と拾えない人がいる
不幸せな人じゃないと分からない幸福もある

88近くにもなってみなさい
人生を振り返ると結局、幸福は拾うものでもあるし
自分でつくるものでもあると分かります
年月とともに色あせていく思いでもある
でも濃くなってゆく思い出もある

「人生ってどんなところでした」と聞かれたら「怖いとこでした」と答えます
一人で生きてきたし、いくつも少年施設に入ったり
でも「生きてみていいとこでした」とも答えようと思っています

<ストックは暖かい千葉で咲き乱れているようです>