3月5日お昼。
都会(大阪市内)に出る用事があり、
母方の祖母と祖父が眠る、大阪・天王寺にある
『一心寺』にお参りに行ってきました。
そこには毎月変わる『法句経』が掲示板に掲げられていて
「このもろもろの香りの中に、戒めの香りこそ最上なり」
・・・と書かれていました。
勝手によしこちゃん翻訳ですが(笑)、
「耳心地のいい褒め言葉よりも、(私自身の成長の為の)
戒めの言葉こそが、最上の言葉である。」
というような感じです(%ニコ女%)(%星%)
・・・天王寺・四天王寺界隈には、
秀吉の時代以降、お寺が一気に増え、
今もその名残(古きよき“大坂”の町並み)が残っていて、結構好きです。
一方、天王寺駅の南側は、近鉄百貨店をはじめ、
再開発がどんどん進んでいて、
梅田みたいに、最新の美しい街になって来ています。
そんな、天王寺駅の北側の…
寺院がたくさんある裏路地を一歩入ると、
表通りとは全然違う…一気に“汚い”(=人間臭い)町になります。
夜遅くにこの辺りを歩きますと、
正に“ノラネコ”みたいに身も心も穢れた、たくましい熟女が、
亡霊のように・・・何故か風景にキッチリ溶け込むように立っていて、
買春していたりします。
また裏路地には、所謂“ラブホ街”があり、
昼間でも人の出入りがあります。
…余談ですが、知人の知人がラブホを何軒か経営しているらしく、
最近の若者は所謂“生きる力”だけでなく
“性欲”すら無くなって来てるらしく、
ラブホの経営が大変なんだとか(笑)。
・・・『性欲』と聞くとあまりいい印象…
大々的にあれこれ論評しづらい傾向にありますが、
これがないと子孫繁栄が叶いませんので、
使い方を間違わない限りは、人間の持つ、大切な欲の一つであります。
(「平和を叶える為には、戦争を学び研究すべきだ!」という論理と同じで、
煩悩から開放・・・解脱した境地を目指すのであれば、
あらゆる煩悩&欲の研究をするのもなかなか面白いです♪)
天王寺のような雑多な街の面白いところは、
新旧…そして人間の煩悩を昇華・成仏させる為の場所である寺院と、
それに相反する、煩悩の最たる存在である“性欲”を満たす
ラブホなどの穢れた場所が共存するということです。
一心寺に書かれた“戒めの香り”が、
朝昼に通う寺院であれば、
麗しき異性から漂う“甘い香り”を嗜みに行くのが
夜のネオン街のような感じです(笑)。
これは一つの「発見」ですが、
こんな感じで一つの街に相反する様々な場所があり、
その街を創るのは正に私たち人間なんですよね。
そしてその人間、一人の心の中にも、新しい心と古い心、
清らかな心と穢れた心など、相反する
“陰と陽の心”が共存している…ということなんだと思います。
清く正しく美しい・・・つまり美しい光が強い程、
影(陰)も濃く・・・
より汚れ・穢れたものも、
吸い込まれるように、どんどん集まって来るのではないかと思いました。
似たような現象ですが、
経営者として会社を大きくして行く程・・・
光が強く放たれれば放たれる程、
その光(ご利益)にあやかろうと、
その経営者&会社に、あらゆる人間が群がって来るようです。
また、外部からのあらゆる攻撃(同業他社等の妬み恨み僻み、等)も増え、
それらから自分・自社を守るための“影の防御や反撃”が
必要になって来るようです。
「光(陽)が強い程、影(陰)も強くなる」
これも人間の真理のようです。
(人間はどうも「隣りの芝生は青い状態で」
人様の『光の部分』しか見えない傾向にあるようですが)
・・・それら事実(真理)が、いいorわるいという価値観を越えて、
人間というものは…また人間が創る全てのものは全て、
相反する陰陽双方を持っていて、
そんな矛盾に満ちた存在なんだということです。
これが人間の『あるがままの姿』なんやと思います。
一心寺とかにいるハトちゃんのように、
毎日後先考えずに、本能の赴くままに
食べて寝て子孫繁栄するだけではなくって(笑)、
叡智を持った人間として生きている限り
“行”によってわるい心や穢れを祓い無くし切り、
生きている間に“仏に成る”…つまり成仏出来たのは、
未だかつてお釈迦さんだけなんだそうで、
私たち凡人は死んでからでしか“成仏”出来ないやそうです。
だから死んだ人間を“成仏した存在”と位置付けています。
しかしながら、お釈迦さんレベルまでは
至難の業・・・ゼッタイにムリっ〜!ですが、
出来る限りそれに近いレベルまで達するのが、
私たち人間の“使命”なんだと思います(%笑う女%)(%晴れ%)