THE BIG ISSUE 212 雨宮処凛より

少し前に話題になったことで、とても嫌な記憶を
呼び起こされたものがある

それは体罰。
大阪で高校生が自殺したことを受けてメディアを
騒がせたわけだが、驚いたのは
時に「体罰に賛成か、反対か」といった二択で
この問題が語られることだ

これがDVだったらどうだろう
賛成か反対かなどといった次元の問題ではなく
明らかにみんなが罪と認識している

同じ暴力なのに「教育」という名のもとに行われると
時に「賛成派」まで登場する不思議

私自身も中学時代に体罰が当たり前の学校で育った
その経験は今もどこかで傷となって残っている

宿題を忘れた、私語をしていたなどの理由で
理不尽に生徒にふるわれる暴力
日々極度の緊張を強いられる学校生活の中では
ガス抜きのように陰湿ないじめが蔓延し
体罰という暴力に日々さらされている子ども達は
それをエスカレートさせていった

そんな中で私自身もいじめの対象となり
その経験は後々まで人間不信などの後遺症を私に残した

だから私自身はどんな理由があろうとも暴力には反対だ
だいたい自分が本当に大切に思っている人が怯え、
悲しい顔をするのを見たいという人がいるだろうか

「相手のため」と言いながらも、そこには本当に1ミリも「支配したい」という
気持ちは存在しないのだろうか

そして誰かを殴る資格があるほどに、偉くて正しい人など
この世にいるのだろうか

また、暴力によって構築できる信頼関係など存在するのだろうか

・・・・・・・・DVだって本当に犯罪と認められ警察が介入するまでにはずいぶんと
時間がかかったのではないでしょうか?
長い間、それは個別の男女関係の痴話げんか程度に貶められていて、
女性の権利として普遍化されるまでには多くの犠牲者がいたことでしょう。
子どもも1人の人格として尊重されなければならないという子どもの権利が
社会的に認識されるまでにどのくらい犠牲者が出るのでしょうか?
子どもは大人からの教育やしつけの対象ではありますが、
1人の人間として決して支配や調教の対象ではないはずです。・・・・・・・

<シバザクラが咲いています>