いまの理解。
「型」とは、
「技」習得のための課題。
現実にとらわれていると、
成立し得ないあらかじめ筋道の決められた相手とのやりとりが、
「△○□」の順番で組み込まれているもの。
「型」(課題)は「技」ではない。
「技」は「形」を生み出し、「型」の形であってもなくても「技」となる。
けがをせず上達するため、相手が安全に抗せるように仕組んである。
ではないか。
仮にこれが正しいとすると、
私であれば、「型」の順として、下記のように組む。
初伝;単純な形。覚えることが容易だが、「技」は難解。
中伝;複雑な形。覚えることが難解だが、「技」としては容易。
奥伝;複雑かつ理不尽な形。覚えること複雑、「技」も難解。
皆伝;単純な形。「技」としては難解で、それのみ要求される。
「形」は、単純→複雑→理不尽+複雑→単純
「技」は、難解→容易→難解→確認
いずれも最初に戻る。
初伝にて、技の難解を知る。
中伝にて、技を理解する。
奥伝にて、技を深める。
皆伝にて、技を確める。
「理不尽」とあるのは、
たとえば、ただ剣を落とせば良い動作を、
手を換える・受け得ない箇所で受ける・捕りに対して、余計な動作過程が多い等。
合っているかどうか。
型稽古は稽古の成立自体が難しいが、
本来の目的を理解することは後からであり、さらに難しい。
だから、
習得者から未習得者へ伝えるしか方法がない。
甲は乙へ良く伝え、乙は甲を見極められるかどうか。
私は、
「三年稽古するより三年かけて良師を探せ」
なのだろう。