ピラミッド型仮説理論

最近・・・。

高野山から帰って来て、季節がよくなってから、

ますますあれこれ考えるのが

楽しくってたまらない今日この頃っ(%ニヤ女%)(%ハート%)

と同時に、あれこれ考え、真理を常に掴んでおかないと

とんでもないことが起こるという危機感もありっ(%ショック女%)(%涙%)

私はそんな意味で、幸か不幸か・・・

めちゃくちゃ保守的な人間でございます(笑)。

最近ますますその傾向は強まり、

毎日30分〜1時間は本を読んでいます。

そして「この人こそは」という方から、あれこれお話しをお伺いし、

素晴らしい言葉を全て手帳に残しております。

(その一部をこのブログでご紹介させて頂いております)

「人間の五大欲求」と言えば、

①食欲 
②睡眠欲 
③色(性)欲 
④金銭(物質)欲 
⑤名誉欲 

・・・がありますが、

そもそもこれが何のためにあるかと言いますと、

「“ヒト”としてちゃんと&よりよく生きるため」なんだと思います。

しかしながら、これら5つの欲求は『諸刃の剣』的で、

TPO&使い方に応じて、吉とも凶とも出るかと思います。

最近、この5大欲求に近いポジションで、

⑥真理を知り、よりよく生きたいという欲求

があることを知り、納得いたしました。

私はこの⑥の欲求が飛びぬけて大きい人間のようです。

やっぱりその理由は、四国歩き遍路行の賜物でございます。

正しいこと(真理)を知り、それに基づいた生活を

細々と今、送らせて頂いておりますと、

生活にそして人生に「ゆとり」が出て来ると同時に、

無駄に使う時間やお金、そして心が減っていきます。

それが更に、金銭的&物質的なまた時間的なゆとりを増幅させてくれて、

自分だけでなく、人様をも救うことが出来、みんなが幸せになれる

というプラスのサイクルが起こってまいります。

・・・ちょっと例を挙げさせて頂きますと、

「あと1時間でここにハリケーンが来る」

「11時の方向に30キロ歩けば、オアシスがある」

などなど、正しい情報(客観・真理というたぐいのもの)を知っておくと、

よりよく生きることができます。命を危険にさらすこともありません。

しかしながら・・・

A.客観的事実・正しい情報よりも自身の主観や

 感情(快・不快、好き嫌い)を頼りに生きている

B.間違った情報や他者からもたらされる情報に惑わされ迷いながら彷徨っている

・・・という2つのタイプの人が多いように見受けられます。

例えば「あと1時間でここにハリケーンが来る」と

Aの思考形態を持つ人にお伝えしても、

「ハリケーンなんか来る気配ないやん。っていうか、来てもたいしたことないし〜」

的な自己判断での回答が帰って来て、避難しようとしない感じです。

また、Bの思考形態を持つ人に

「11時の方向に30キロ歩けば、オアシスがある」と言っても、

「Aさんはどこにもなかったって言うし、Bさんは5時の方向にあるっていうし・・・

じゃー間を取って、2時の方向に歩いて行ってみようかしら〜」

的な驚きの発想でのご回答が回って来そうな勢いです(笑)。

正しい情報・真理を的確に掴むための・・・

①感性(キャッチする力。自分の中にあるもの)

②判断力(取捨選択する力。自分の中にあるもの)

③正しい情報源(自分で正しさが判明出来ない情報の場合。

 信頼出来る人&ルートから得るという「情報力」。自分の外にあるもの)

以上3つの力が必要になって来るような感じです。

最近「ピラミッド型仮説理論」を

展開するのがマイブームです(笑)。

私自身、企業家(経営者)でありますが、

「いけてる経営者」と「いけてない経営者」と

大きく分けて2種類あるような気がしましたので、

あれこれ考えてみました。

これも真理を知るための客観的な洞察であります。

私が思いますに、

いけてる経営者には「人間力」がある(もしくは、たくさんある)のでは

ないんかな?ということです。

・・・経営力を上げる(会社の売上や規模を拡大する)

“進化”するためには、まず、人間力を上げる(“深化”させる)

必要性があると感じました。

この『自然の摂理』は樹木を例に挙げると分かりやすいかと思います。

この世の中には、根よりも広く多く茂る枝葉を持つ樹木は存在しません。

例えば、山で自生している樹木の根をバッサリ切って

庭に移植したとします。

しばらくは目に見える枝葉は大きくなりません。

その間、地面の下で樹木は必死で根を生やしています。

で、枝葉とバランスが良くなったら、枝葉が伸びてきます。

根以上に広がる・大きくなる枝葉なない。

根は地中にあって見えない(『陰』の存在)のと同じで、

人間力の深さ・大きさも見えない。だけど確実に存在する。

が、その人の経営力(=社会(天)から与えられた役の演じ方)を見れば

およその人間力を垣間見る&推測することは可能です。

なぜ、経営力の前に、人間力が必要なのか?

それは、「経営者である前に、一人の人間だから」です。

経営力(枝葉)をより広く大きくするのが、進化(“陽”の発展)で、

人間力(根)をより広く大きくするのが、深化(“陰”の発展)です。

これら2つの「しんか」を同時進行で行って行くことが、

人間力を土台とした経営力のプラミッドを大きくしていき、

自分を同時に他者をも救っていき、みんなが幸せになっていくのではないでしょうか。

「しんか」とは、

「伸化」(伸びていく)であり、

「新化」(新しくなっていく)であり、

「芯化」(芯を強くし、芯へ近づいていく)であり、

「心化」(自分が思った方向へいく)であり、

「真化」(真理に近づいていく)であり、

そして「神化」(神の道へ近づいていくことなんだと思います。

『神道』という、日本古来・・・日本で自然発生的に

起こった宗教がありますが、

実はこの『神道』は、今を生きる私たち一人ひとりが

上記の「神化」の作業をサポートする為の教えであります。

そもそも、太古の昔、日本には、『神道』のみありました。

時代が下り、仏教をはじめ、多くの宗教が外からやって来て、

その『神道』にない部分を補足したりしながら、

共存共栄して来ました。

『神道』とは、一言で言いますと、

「日本人の人生観」となります。

現在法律上、いち宗派となっていますが、

『神道』とは、私たち日本人の「本(もと)」であり、中心であります。

「いち宗教」ではなく、「人生観」つまり「あり方」です。

私たちの祖先は、その『神道』という人生観を学ぶ場を

『聖域』ということにして、

その聖域の中に、『神道』という、日本人としての生き方・あり方を

守り、継承し、遺して逝ってくださった訳です。

これは先人の智慧であり、

そして私たち子孫への“愛”なんだと思います。

私はここまで思い至りますと、

「なんとも有難い」と、感涙状態です。。。

神社の中心に向かって、手を合わせますが、

この手を合わせるという作業も、好きな仕草の一つです。

手を合わせる=心を合わせる

じゃー何に合わせるの?

これは、やっぱり・・・

①今の自分と、
 
②「あるべき自分・なりたい自分・全て満たされた自分」なんだと思います。

この②の『もう一人自分』のことを『神道』では神と呼び、

仏教では仏と呼ぶんだと思います。

「どうぞ、今の自分と、もう一人の『あるべき自分』と合一出来ますように」と

お祈りするのが、そもそも論なのではないでしょうか?

カミサマとは、本当はどこか遠くの世界にいるのではなく、

私たち人間の心の中におられるのだと思います。

だから、鏡が中心に置かれているんだと思います。

「己をしっかり見よ〜。そこに答えは有る」って感じで(笑)。

こうなりますと、『神道』も他力本願的宗教ではないと思えてきます。

神社に参拝に行きますと・・・

「どうか受験に受かりますように!」

「病気が治りますように!」などと必死で拝む姿を見かけます。

「拝む時だけ必死で、自己努力(勉強したり、暴飲暴食を止める等)しない」

これでは受験に受からないし、治る病気も治りません。

カミサマというものは・・・

①出来る範囲でせいいっぱい自己努力している

②成就したい願いが、神の意志(世のため人のため)に叶っているか

大きくこの①②が揃ったら、応援して(つまり神風が吹いて)

その人の願いが成就して行くのではないか?・・・と思います。

ですので、必死で参拝し、お金を積んで、祓い清められても

アカンもんはアカンと思います(笑)。

人生は基本、自力本願で、

そこに他力本願という見えない幽なる力が加わり、

いろんなことが成就していくようです。

次のプラミッドは、道徳と学力です。

最近、道徳のない・・・学力(知識)ばかり持つ

逆プラミッド型人間が蔓延っていて(特に政治の世界)

恐ろしく感じています。

学力とは、知識・・・学校の授業で勉強することが主で、

生き方・・・生きる術という感じでしょうか?

その下・土台となっているのが、道徳であります。

人としてのあり方。

哲学・理念・ビジョンというたぐいのものなんかな?って思います。

私はその2つの間に『智恵(智慧)』というものが

2つの「橋渡し」をしているのではないかな?って

勝手に推測しています(笑)。

智恵とは、その2つの両方の要素を持っていて、

それら2つの中にある情報全てを総合的に判断して、

「じゃー、こうしよう!ああしよう!」と

人生の提案をしてくれるもののような気がしています。

ですので、道徳と知識という2つのものを得られれば得られる程、

智恵というプラミッドはどんどん大きくなって、

その人の人生をより幸せに導いてくれるんだと思います。

だんだん長くなってきたので、

これで最後にします(笑)。

最後は、人間の物事の判断基準に関連するピラミッドです。

人間には本能という生命欲(生きるための欲)があります。

これは動物にもあるので動物脳(動物的思考形態)と呼んでいます。

先述の人間の5大欲求

(食欲 睡眠欲 色(性)欲 金銭(物質)欲 名誉欲)

をどう満たすか?これに必死のパッチになる訳です(笑)。

上記の動物脳がある程度満たされてくると、

次に人間は感情に支配されます。

つまり「快・不快&好き・嫌い」という判断基準を基に

必死のパッチで動くようになります。

「あいつキライ〜」「これは好き〜」という類の取捨選択方法です。

上記の感情がだんだん落ち着いてきますと、次に

人間が創造した、理性・理論に基づいた判断基準を中心に

動くようになってきます。

「この事業は理に叶っているのか?」「これは法律違反ではないだろうか?」的な

思考形態かと。。。

この段階がある程度成されて来て、

そして最後に書いているのが「神性」です。

この理屈理論と神性の間には、もう一つ段階があるようなのですが

(っていうか、この間のステップは膨大に大きい)

これはまだ分かりません。勉強不足です(涙)。

神性とは、一言で申しますと

「自分と同時に世のため人のためになるのであれば、なんでもやる」

という判断基準です。

いやはや。。。

ここまで来れれば、生きたまま成仏できますヮ〜(笑)。

未だかつてお釈迦さま以外は、

死んでからしか成仏出来てませんからねぇ〜(%痛い女%)(%涙%)

ま、そんなかんだで、

中途半端感はかなりありますが(涙)、

最近、「真理追求マニア」の如く、そこに恐怖を快感を覚える

ちょっとキケンなよしこちゃんであります〜(%ニヤ女%)(%王冠%)