“心の整理の達人”

昨日・今日とする予定だったおシゴトが

先方さまのご予定でずれまして、

この土日はとってものんびり&時間アリアリで

過ごさせていただきました(%ニコ女%)(%星%)

ずっと気になっていた、細かい雑用や、

マイカーと、家の窓の掃除を、3時間半かけて

徹底的にキレイにさせて頂き、

気分はチョー☆スッキリ〜っ(%笑う女%)(%王冠%)

んでもって、これからはお気に入りのスーパー銭湯に行って、

のんび〜りリラックスして、明日から更にハリキッテ

あれこれがんばれますように、エイキを養ってまいりますっ(%ニヤ女%)(%ハート%)

そんなよしこちゃんっ(%ニヤ女%)(%音符1%)

この土日も、いつもの喫茶店で本をゆっくり読むべく行きますと、

隣りに座っていた、50歳半ばのおばさまが

とっても凄い方で、思わず携帯電話いじっているフリして、

すっかりお話しを聴き入ってしまいました(笑)♪

そのおばさん(仮に「Aさん」)は、向かいに座っていた

同世代のおばさん(Bさん)の

「お悩み相談」をされてはりました。

Bさんは、“ウチのオカン”みたいに(笑)、

自分と姑の人間関係に関する悩みを

感情的&主観的・・・思いつくままに、しゃべりまくしたててはりました。

Aさんは、頷きながら一通り聞いた後、

一つ一つ丁寧に、どこに何の問題があって、嫁姑が対立しているのか?

冷静沈着・・・だけど腹は熱く、Bさんの悩みが解決することを願いつつ、

客観的に紐解いて行かれました。

そのプロセスが、「Aさんは、プロのカウンセラーとちゃうか〜っ!?」って

アッパレ☆感動する勢いで、

コッソリ聞いている私に爽快感を与え続けていました!(盗み聞きはアカンよ〜・笑)

Aさんは、大変分かりやすい事例や、Aさんご自身の嫁姑問題を出しながら・・・

例えば、いじめをする子どもは「遊んでいた、いじめていない」と言い、

いじめたという認識はありません。

しかし、いじめられていた子どもは「明らかに、いじめられていた」と言ったとします。

となると、いじめられていた子は、いじめられたという認識があるのです。

だから、客観的に(周りの人たちから)見て、この2人の子どもの間では

「いじめがあった」と判断されます。

また「正義だ」と何かしてあげた人が豪語しても、

それを受ける側が「それは正義ではなく、悪だ」と捉えれば、

悪と判断されるという訳です。

つまり、

「こちら側(自分)の理屈・主観で、あれこれやってやっても、

相手がこちら側と同じ認識をしなければ、対立が起こる訳です。

・・・成程っ(%笑う女%)(%王冠%)

そのAさんによる、Bさんのお悩み解決の方法は・・・

「例え半分痴呆症がかった姑でも、言うことは全て聞いてあげ、

受け止めてあげる。

Bさんの考えが客観的に正しくて「おかあさん、でもね・・・云々」と反論しても、

永遠に関係は良くなって行かない。

姑の“わがまま”を全て受け入れないと、姑を本当に理解できないし、

全てがよくなっていかない。

私(Aさん)の場合は、身内やから、縁は切れないので、

“距離を置く”ようにしてみたの。

近所で別居することによって、ちょっと客観的に嫁姑関係を見る・こなすことが出来、

だんだんとマシになってきました。」・・・とのような内容でした。

①Bさんの愚痴(問題)をひたすら聞いてあげる(相談者の心に寄り添う)。

②客観的視野に立ち、根本的問題点を探し当てる。

③Bさんがどのように姑との関わり方を変えればいいのか・・・

 言動・心・思考を変えればいいのか・・・

 問題解決への実践方法の提案。

④Bさんよりもその姑はもっと大変で過酷な境遇であるか・・・

 それをBさんに認識してもらい、姑の心に寄り添って貰おうと

 さりげな〜くBさんを誘導。

この①〜④のプロセスに、よしこちゃん、大感動〜っ(%笑う女%)(%王冠%)

しかしながら、長年積もり積もった嫁姑関係を

この話し合いだけで解決するのは不可能に近いようで、

Bさんは「せやね!だからこんなにとになったんやね〜」って

理解は示しつつも、

このBさんの心には常に「私は悪くない、全て姑が悪い」という

“わがまま”が鍋底のオコゲのように、こびりついている感じでした。

Aさんもそれを認識されてはったようで、

上記①〜④の作業を会話の中で、何度か繰り返してはりました。

・・・ここからは私の推測ですが、

Bさんのその問題解決は程遠いようです。

なぜなら、ぶっちゃけトークですが(笑)、

Bさんは自分の心を入れ替えることで問題解決をするよりも、

姑が早く死ぬことで問題解決するのを待っているかのようでした。

「自分は悪くない、全て姑が悪い」

「自分がこの家を出て行く訳には行かない」

「じゃー、姑が出て行けばいい」

「姑も出て行かない」

「早く死ねば、私のストレス源が無くなってスッキリするのに」

こんな“気”を私は、若干感じて、ちょっと怖くなりました。

・・・ここから深読みします。

そのBさんのご希望通り、姑が早く死ねば

確かに姑からのストレスは解消するでしょう。

実はこれは“表面上の解決”であり、“根本的な解決”ではありません。

Bさんには、結婚前の息子さんがいるようです。

世代を・・・時代を超え、このままではBさんは、

今度は息子の嫁との嫁姑関係で悩む・・・と私は見ています。

とにかく、自分自身の悪いところ(わがまま・罪)は、

問題&苦難が起こった時点ですぐに

自身の心を入れ替えることを通して、解決・昇華しないと

子や孫に投影していってしまいます。

Bさんと、その姑さんは、きっと同じだけ“わがままな心”を

持った人間なんだと思います。

同じ度合いで同じものを持っているから、対立する訳です。(鏡の法則)

もしもどちらか“大人(一つ高いレベル)”に成れば、

確実に対立は起こらなくなり、そこに調和が生まれます。

人間の娑婆の世界では

「100%自分が正しい」「自分だけが正しい」は存在しないようです。

(100%正しいのは、絶対的な存在である神仏の世界のみ)

そう認識することが“わがまま”な状態であり、

ことごとく周りと対立し、周りをそして自分自身を不幸にしていきます。

他者を責めるよりも、まず、1%でもある、自分の悪いところ(わがまま)を

探り当て、それを正していくことで、対立はなくなっていき結果、

みんなの心・人生が平安になっていきます。(波及していく)

“わがまま”の反対語は、“すなお”のような気がしています。

本来この“すなお”な状態になっていないと、

人に相談してはいけないなと感じました。

何故なら、いくらAさん(相談に乗ってくれる人)に

素晴らしい改善点・アドバイスをもらっても、

Bさんが「私は悪くない、言動&心を変えるのは相手(姑)である」と

認識していることは、つまり『心のコップ』が逆さに向いている状態で、

いくらそこに綺麗な水を注いでも、入っていきません・・・

Bさんの心に素晴らしいアドバイスは入っていかず、

問題が解決しないばかりか、そこ相談した時間が無駄に終ってしまいます。

「相談に乗って欲しい」

「自分自身の問題を解決するサポートをして欲しい」

のが、本来の相談というものの主旨かと思います。

しかしながら、一部に

「いかに自分が正しいか・相手が間違っているのか・・・

私の主義主張を聞いて、認めて欲しい」というだけの人も

相談者に紛れ込んでいます。

そんな人に出くわしますと、私の力ではどうしようも出来ませんので、

「あなたって本当にすごいですね〜!」的な

相手が喜ぶ・期待通りの賞賛の言葉を何個かお伝えした後、

「次のアポがありますので〜」とそさくさと退散すると思います(笑)。

(いくらこっちががんばっても問題解決しないので、時間の無駄です)

にしましても、このAさん・・・ほんと凄かったです。

“心の整理の達人”と勝手に名づけさせて頂きマシタ(%笑う女%)(%晴れ%)

きっとご自宅(現実世界)も無駄なものがなく、

キレイ&スッキリと整理整頓されているんだと思われます。

弟子入りさせて頂きたいなと真剣に思いました(笑)。

・・・人間が生まれ子ども時代に「主観的思考形態」が

まず構築されていいくようです。

自分自身から見た、物事の見方・捉え方です。

人間とは「ヒトの間」と書きますが、

人それぞれ主観(価値観)が違う存在であり、

みんながそれを主張しまくりますと、

ヒトとヒトの間の関係は崩壊し、結局共倒れしてしまいます。

そこで「客観」というものが、人間関係や社会の安定のために

必要となってきます。

大人になるごとに、この「客観的思考形態」が

構築されていきます。

「自分はこう思う(主観)。だけど相手はこう思っている(客観)から、

相手(自分以外の他者)の主観(=客観)両者を踏まえ、

言動を展開出来るようになっていきます。

この主観と客観を踏まえた思考形態の上に、

言動を展開出来る人間のことを私は「精神的に成熟した大人」と

捉えています。

一方で、人間が生まれ、食べ物を与えられ続けると

「生物的に成熟した大人(繁殖能力があるヒト)」には

誰もが成ることが可能です。

しかしながら、この「精神的に成熟した大人」は

意外と少ないように感じられます。

人間として生まれて来たことの醍醐味はいくつかあろうかと思われますが、

その一つを味わおうと思えば、この「精神的に成熟した大人」でないと

味わえないこともあろうかと思われます。

また、この「精神的に成熟」は、

一人ひとりの自己努力(行・修行)によってでしか

磨き、高めて行けないような感じです。

別に山に篭って修行すべきでもなく(笑)、

日々の生活の中で発生する、喜怒哀楽の出来事を通して

自身の心で起こる『苦難』と『感動』によって、

自分自身を磨き高めていくべきかと思われます。

ですので、先述のBさんのように、

「自分は悪くない、相手が悪い」とずっと認識してしまっていれば、

その精神を磨き高めるための『人生修行』を放棄することになり、

成長というものがないばかりか、

いつまで経っても、『不足不満のステージ』から抜け出せずに、

周りにも悪影響を及ぼし結果、身内に見放され、

孤独死寸前の・・・自分の姑と同じ人生を歩んでしまう訳です。

・・・ほんと、最近どこに行っても、

こんな『人のふり見て我ふり直せ』状態の

ホットな話題ばかりで・・・(%ショック女%)(%星%)

こんな話ばかりが耳に入って参りますので、

ますます健全なる人生修行に没頭しなければ・・・と痛感する、

今日この頃でございますっ(%とんかち%)(%痛い女%) (%ニヤ女%)