第35回 千里コラボ大学校を開催致しました。

第35回 千里コラボ大学校を4月13日(土)に開催致しました。

講演は「北前船紀行 〜交流の歴史・チェンバロと共に〜」
と題して、明楽みゆきさんにお話とチェンバロの演奏をして
頂きました。

・恒例の音楽演奏は、ご担当の加福共之さん・川上時子さん
からのお話もあり、今月はお休みです。

・5,000年程前のエジプト文明での壁画の竪琴がチェンバロの母
と、その歴史から語り始められました。それは可愛らしい丸型で、
動物の骨と腸で作られました。戦いを語る場面での低音を出す
長い弦、小鳥の囀りを表現するような高音は短い弦、これ等を
収納するために当初の丸型は、膝の上に置く長方形の箱型等
の変遷を経て、ルネッサンス時代に三角形の竪琴を横に倒した
と、現在の形に変わってきた経緯を話されました。

・チェンバロは鍵盤を押すことにより厚さ0.33㎜程の爪が
ゆっくり撓って、工芸品のような弦を爪弾いて音を出します。
一方ピアノは弦を叩くことにより音を出します。フランスでは
ルイ14世のブルボン王朝の時世、バッハやヘンデルの曲が
チェンバロ・ビオラ・フルート等の楽器で演奏されました。
しかしルイ16世・マリーアントワネットの時代に起こったフラ
ンス革命で、チェンバロは贅沢品の代名詞とされて破壊され
た、とお話しされました。

・日本には1543年ポルトガル人の種子島漂着時に宣教師が
チェンバロを伝えたこと。新しい物の大好きな信長がこれを
好み、聚楽第では秀吉に継承され、1582年出発した少年使節
団がローマ法王の前でチェンバロを演奏して好評を博したこと。
しかしキリスト教の布教を禁じた徳川の政策により終焉を迎えた
こと。宗教と共に日本に入ってきたチェンバロが、その宗教に
より消えていったというお話は印象的でした。

・明楽さんのご先祖は近江商人で、初代が使用した手垢の付いた
天秤棒が桐の箱に入って、家宝として大切に保管されていると
のこと。その後、春に「なにわ」を出て秋に戻る3隻の北前船
の船主になられたこと。北前船の寄港地は200ヶ所程だそう
ですが、その船頭さんは夫々の地で安く買える物と高く売れる
物を把握して商いをしながら、茶会や句会等を各地で催した
そうです。北前船は寄港地の文化を築き物産を運ぶ、情報と
文化の伝道者の役割も担っていたわけです。

・ヨーロッパと日本そして明楽家のお話。これ等を挿んで
チェンバロの演奏をして頂きました。バッハの「アヴェ・マリア」
で始まり、ヘンデルの「パッサカリア」までの全17曲。アイルランド
民謡・山田耕筰・「涙そうそう」等、全17曲をお聞きしました。
受講者の方々は心を和ませながら、繊細でありながら和音の重厚
な音色に聞き入っていました。また受講者がチェンバロを間近に
見える位置で、調律をしながら質問にお答え頂き、そのお心遣いに
感激致しておりました。

・明楽さんのチェンバロ制作に要した期間は3年半だそうです。
楽器というよりは芸術品という印象です。蓋の裏にはラテン語で
「音楽は喜びの友・哀しみの薬」と、本体側には可愛らしい花が
描かれています。これはまさに明楽さんの分身と言えるもので
しょう。

・明楽さんは札幌にお住まいです。小樽から北前船の航路を辿り
敦賀で降りて、ご自分の運転でチェンバロと共にコラボに来て
頂きました。明楽さんは「現代版北前船プロジェクト」を立ち
上げられて、全国各地で講演とチェンバロの演奏による交流を
始められております。

・心の癒されるお話とチェンバロの響き、そして受講者の皆さん
に対する温かい心くばりによる長時間に亘るご講演、ありがとう
ございました。心よりお礼申し上げます。

・本日のテーマに関連する図書を、千里図書館司書の石田ひろ
さんに紹介して頂きました。今回も北前船・チェンバロ・ブルボン
王朝等、多方面の図書を紹介して頂き、ありがとうございました。
 
 
 (原田)