常に「本(もと)」を捉まえる

5月11日(土)、夕方。

今朝からの雨でご近所の田んぼから

カエルちゃんの鳴き声が聞こえ出しました。

そういえば、こよみの『立夏』が過ぎ、

こよみの上ではもう夏なんですよね(%笑う女%)(%星%)

ちょっと前まで寒いなぁ〜って思ってたのに、

月日が流れるのは、早いもんですよね。

・・・さて。

最近生きていて、思うことがあります。

最近、あれこれあって

常に考えていることがあります。

それは

「常に“中心”へ自分の心を向けているか?」

「常に“軸”がずれていないか?」

「常に“本(もと)”と繋がっているか?」

「常に“何の為に今、〇〇をしているのか?”と

主旨・目的から、言動を外さない」

そして「常に“何を成す為に今、この世に生かされているのか?”

ということを問い続けること(※この答えは死んだら分かるかと…笑)」

以上のようなことを考え、曲がりなり…失敗&反省しながら

日々、言動に移しております。

上記のようなことは、どちらかといいますと

『あり方(根本)』であり、右脳の直感的な働きであります。

これを踏まえ、更に意識していることは

「どのようにすれば、今の私に“与えられていること(使命)”が成就できるか?」

という、『やり方』であり戦略・戦術…

左脳的且つ理論的な働きであります。

以上の相反する&相関関係のある2つの働きを、

的確なタイミング、質と料で実践し続けることは、

人間が持つ能力の中でも非常にレベルの高い方の

能力かと思われます。

私は常に自分自身を含めた周りの人・環境・境遇などの万象を

“観察”(内観と客観)し続け、どのようにすれば、

私自身や人様、国家&世界&宇宙の大信念(あるべき姿・状態)と合一し、

物事を成就(生成・発展)できるか?・・・

考え続けています。

最近、何故かあれこれ発信(アウトプット)するよりも、

こんな感じで、内観と客観を繰り返す(インプットする)のが

楽しくって仕方がありません。

何故楽しいかと言いますと、原理原則、つまり真理というものが

だんだんと見えてくるからです。

・・・自身の“観察”の見方(=物事・万象をありのままに観ること)を

少しでも誤ると、全てが狂いはじめ、

周りの境遇も自分自身も不幸に向かって崩壊し、

対立の争いの世界のドツボにハマります。

従いまして私はこの“観察”という行為を

常に神経質且つ慎重に行い、

それに必要な直感力や情報収集&収拾選択能力などを、

曲がりなりに日々錬磨しており、

それを“人生修業”だと捉えています。

的確な“観察”をする為に必要なことは、

自分自身の心を“純情(すなお)”な

状態に保ち続けることだと考えています。

その“観察”能力の乏しい人を観ておりますと、

そのほとんどが

『自身が抱く“感情”によって、

ありのままの状態・全体が総合的に把握出来ていない・観えていない』

という状況になっているようです。

分かりやすい事例を申しますと、

例えば、ある一人の人物を評価(判断)する際、

自分自身が生理的好きな相手・フィーリングの合う相手、

何か良いもの(得)を自分に与えてくれる人に対しての評価は高く、

逆だと低い傾向にあります。

このような“感情”というある種の煩悩という“フィルター”を通して

物事を観て判断するのは『人間的』であり、

この娑婆の世界では、いたって普通の行為でありますが、

その人の人生は“普通の娑婆レベル”で終わります。

人生における『行』というものを通して、

上記の“感情”という私意・思惟から超克すると、

神仏的な…つまり総合的且つ絶対的な物事の見方・捉え方が

出来るようになって来て、

私たち人間が感じる、最も高尚な幸福の境地を

その人生の中で味わうことが出来るかと思われます。

それを味わうための土台となる心理的な状態が、

この『純情(すなお)』な状態なんだと思います。

その『すなお』になり続けるためのやり方は

あれこれあろうかと思いますが、

私の場合は、やはり過酷な遍路修業に行くことが

最も手っ取り早い方法なのですが、

『歩き遍路行』はしばらくは止めると決めましたので(笑)、

今は別の方法(身近な実践)に切り替えています。

①常に、行き倒れ寸前の“歩きお遍路さん”のようなものだと認識し、

常に『有難い』という気持ちを持ち、『万象我師』という認識を持って、

そして謙虚に学ぶ姿勢を持つ。

と同時に、絶対的な信念を確立し続け、またそれを貫き、

それにそぐわない“人間の罪”や状況に対しては徹底的に抗戦をしつつ、

万人幸福へ繋がる『大調和の境地』を築き上げることに専念する。

②時間にゆとりを持ち行動する<心のゆとりに繋げる>

(スケジュールに優先順位を決めて比較的必要度の高いものしか関わらない) 

③財布には多めにお金を入れ、お金にゆとりを持つ<心のゆとりに繋げる>

(実情はボンビーですが〜・笑)

④心身に無駄&過度なストレスをかけないように心がける<心のゆとりに繋げる>

(「これ以上無理をしない」というラインを決めておく)

⑤『身辺は出来る限りシンプルにしておく』

(一日一回は身辺の掃除をし、祓い清める。

また、本当に必要なものしか買わない・持たない。

不必要なものは、どんなに綺麗なもの・高価なものであっても

何の未練もなく、キッパリと潔く捨てて行く)

つまり『余計な物質や思考(心配)は抱え込まない』

という意識を、常に持ち続けるということです。

(これは『煩悩』というものが人間にある限り、至難の業でございます・苦笑)

『身辺は出来る限りシンプルにしておく』

これは、先の日露戦争で旧・ロシア帝国の最強騎馬隊を破った、

秋山好古(よしふる)の教えです。

司馬遼太郎氏の小説『坂の上の雲』を現在愛読中です。

いつも寝る前にベッドで読んでるんですが、面白くって眠れません(笑)。

時々やってくる難しい描写の時に眠ることにしてます(更に、笑)。

好古の軍人としての生涯の使命はただ一つ

「ロシア帝国の最強騎兵隊『コサック集団』を破ること」。

そのことに終始一貫し、

人生をそれに捧げ尽くした男であります。(カッコよすぎ〜(%笑う女%)(%ハート%) きゃっ♪)

有名な好古の、逸話をここで紹介させて頂きますと、

好古がある旗本の家に下宿していた時、

一時、弟の真之(さねゆき)もそこで一緒に暮らしていました。

(※真之は、海軍に入り、当時の欧米列強の中でも最強の艦隊だった

ロシアの「バルチック艦隊」を破った作戦を立て、それを実行した人物であります)

狭い下宿部屋に2人住んでいた訳ですが、

2人になっても、茶碗はずっと1つでした。

まず好古がその茶碗で酒を飲み、

その後に真之がそれに飯を盛って食べる(以下繰り返し)。

茶碗が1つだったのは、お金がないからではなく、

「一身独立することが男子の仕事」だと主張し、

敢えて身辺を単純明快にし、そして

「何事も単純であれ、悩むな、絞れ」と言われたそうです。

★(ご参考までに)秋山 好古 名言集↓

http://www.sakanouenokumo.jp/yoshifuru/saying.html

人間個人や、国家世界の成功と失敗の方法もそして本質も全て、

我々の先人達が既に身を持って演じて下さり

そして遺して下さっております。

私たち日本人はそのことに早く気付き、感謝をした上で、

それを活かした人・組織、そして国づくりをすべきかと思われます。

(温故知新&「本を忘れず、末を乱さず」の徹底的実践)

先人達の失敗を学ばずに、同じ失敗を繰り返す程、

無知で愚か、そして先人に対して“恩知らず”な行為はないかと思われます。

(失敗は一度でいいんです。失敗は二度と繰り返すものではなく、

失敗から学習する動物、それが人間であり、人間の叡智であります)

先程まで、尊敬するある経営者のおじさまと、

以上のようなことを熱く語り合っておりました(笑)。

ほんと、起こること全て、教師&反面教師であり、

『万象我師』(起こること全て自分の師匠)であります。

謙虚に頭(こうべ)を垂れて、学び、そして活かし続け、

『尊己及人』(そんききゅうじん。己を尊び、人に及ぼす)

したいと思いま〜すっ(%ニコ女%)(%音符1%)