現在、奈良県南部にある天川村の
洞川(どろがわ)温泉におこもり中〜(%ニヤ女%)(%王冠%)
この洞川温泉郷から大峰山へと
多くの行者さんが山修行に向かわれます。
この大峰山での修行場は、全国で唯一、
“女人禁制”の風習が残っている行場であります。
私はこの手の修行は大好きなので、
初めてそのことを聞いた時は
「男子だけ、修行出来てずるい〜っ(%痛い女%)」って思ったんですが(笑)、
あれこれ聞いて調べてみますと、
やっぱり1300年の歴史に沿って、
女人禁制を保つ方がいいと考えるようになりました。
男性が、自身の命をも懸けて修行をする場に、
女性も存在しますと、どうしても男性って
本能的に気持ちがそっちに向いてしまい、
修行に専念出来ないかと思います。
男性は、女性や子供を守る『性』ですので、
体力的にも精神的にも強くなければなりません。
だから、女性の目を気にしないで、
自身の弱さや愚かさと戦い、克服しながら、
切磋琢磨修行に励む場が、この日本の中に未だ残っているのは、
本当に有難い&凄いことだと思います。
きっと、この洞川温泉郷の凛とした、
何とも言えない洗練された&澄み切った張り切った“気”は、
この1300年の間に築かれ、紡ぐられて来た
この女人禁制の行場を磨き、守り続けて来た人たちの叡智と、
この大自然の叡智が混ざり合い織り成された賜物だと思います。
ちょっと元気がない時、元気になりたい時、
そして更に元気になりたい時に、いつも行きたくなる場所が
この洞川なんです。
何度も行きたくなるような“気”がこの町には充満しています。
![](/img/u43837/FI3961729_0E.jpg)
で、今日は「折りたたみ自転車」に乗って、
その大峰山の女人禁制の門(女人結界門)まで
行ってみることにしました。
今まで何十回も洞川には来ていますが、
ここに来たのは初めてです。
梅雨の合間の平日なので、誰も通りませんでした。
「誰も見てないので、ちょっと入ってみよか〜」
・・・という煩悩が一瞬も出てこない程、
ある種恐ろしい・・・爽やかで鮮烈な気で充満していました。
誰もいなくても、背筋がピン!と伸びました。
しばらくそこに立っていました。
「私は女性だから入れない」
「どうして私って、女性なんだろう?」
そんな疑問がふつふつと湧いてきました。
普段、私って女性なんやーって、殆ど意識した生活を
送ってませんので(ある種、問題発言・笑)、
ここに来ますと、まざまざと自分が女性なんだって
実感をさせて頂きました。
これはある種の『逆転の発想』ですが、
男性だからこそ、荒行をしなければならない・・・
女性だからこそ、そこまでの荒行をする必要がないと
先人達の智慧では、そうなっているんやと思います。
女性って、子供産んだり、あれこれと、男性よりも
日々、しんどいことってあるかと思います。
つまり、日々の修行が、女性の方が荒行だから、
女性はこのような山での荒行をする必要が
ないのかも知れませんね。
![](/img/u43837/FI3961729_1E.jpg)
結界門の側に、右のような看板がありました。
私はこの中の『上求菩薩(じょうくぼさつ)』と
『下化衆生(げけしゅじょう)』という言葉に
釘付けになりました。
上には菩提(ぼだい)を求めると同時に、
下に向かっては衆生を教化(きょうけ)・救済(ぐさい)を施すことです。
私は、おかげさまで一応、四国歩き遍路行を終えましたが、
今でも『上求菩薩』の方は十二分に求め続けております。
ある種、クセ・習慣化しております。
しかしながら、『下化衆生』に関しては、
一部ではさせて頂き、大変感謝をされておりますが、
他の一部では、自身が修行等によって得たことを
“武器”のように扱い、その武器で人を救うために使うのではなく、
下の人を斬りつけて、傷つけている時があります。
私の持っている“武器という名前の正論”は、
誰からも反論出来ないものでありますが、
正論を武器のように振り回し、人・周りを攻撃し、
その人たちとの調和を乱せば、
それは結局正論ではなく、愚論になってしまいます。
この娑婆の世界においては、
正論を言っても、それを最後まで貫き通せない理由の一つが
このような状況なんだと思います。
最近、正しいことに気がついて、それを周りの人たちにお話ししても、
それが通らないことがあります。
みんなの感情(=煩悩)が、正しいことを歪め、見えなくさせているんです。
この民主主義という名前の『娑婆の世界』では、
多数決で物事を決めることが多いので、例えば、
正論者が49人で愚論者が51人だと、愚論が組織の総意となってしまいます。
(※しかも愚者は無意識のうちに劣等意識(不足不満という名前の罪)
を抱え込んでいる、つまり自身に自信がないので、
群れを作るのが好きなので、一致団結して固まって生息しています)
自分達は正論だと思い込んでいても、
客観的には愚論なのですから、物事がステキに成就する訳がありません。
成就しない理由を他人や時代などの「外部要因」のせいにして終わりで、
同じ失敗を繰り返して、やがてみんなで一緒に朽ちていきます。
私は、そんな人たちに対して、攻撃したり、そっと離れたりして
火の粉がかぶらないように、自己防衛に走っておりましたが、
この『下化衆生』という言葉&解説を見て、
「私は間違っていたヮ」・・・と猛省いたしました。
この看板に書かれておりますように、
「衆生(=誰)に対して仏の心で接する」・・・
これは決して“上から目線”ではありません。
慈愛に満ちた“施し”であります。
正論を常に直視しつつ、愚論をも優しく包み込む・・・そんな境地です。
きっとそんなことが出来れば、全ての対立がなくなり調和され、
和を描き、そして全てがステキに成就して行くのではないでしょうか。。。?
人・他人様がどうこうなんて、関係ありません。
私はこの『下化衆生』の実践を徹底しなければならないと
この“女人結界”の聖域で強く感じさせて頂きました。
私は女性なので、この山で修行は出来ませんが、
山を下りて、この『下化衆生』の修行も、
一から積んで参りたいと思います(%ニコ女%)(%音符1%)
![](/img/u43837/FI3961729_2E.jpg)
ってことで、帰ってからの修行(目標)も
おかげさまで決まったことですし、
残りの時間で、おシゴトしまくりたいと思いま〜す(%笑う女%)(%王冠%)
![](/img/u43837/FI3961729_3E.jpg)