日 時 平成25年6月15日(土)
場 所 大手前大学
講 師 岡 佳子氏(大手前大学教授)
日本人は日頃から、朝起きた時とか食事の時等に喫茶をしま
すが、”茶の湯”とは単にお茶を飲むことではなく、お茶事(懐石・
濃茶・薄茶)のことを言うのだそうです。
「特定の場所(茶屋)で、特定の道具(茶入・茶筅・水指等)で、
特別な作法で」いただくので非日常的であるとも言えます。
その歴史は、鎌倉時代=宋から抹茶・喫茶具が伝来、室町時代=書院茶の湯が行われる、戦国時代=数寄(町衆の茶の湯)が出現、桃山時代=侘茶の完成・・・で今日に至っています。
茶道具(茶碗・茶入等々)は当初唐物と言って中国からの輸入品を専ら使用されていましたが、時を経て和物(備前・信楽等)も制作されるようになります。
そして千利休が侘茶を完成させた頃には、和物茶碗は創造の時代に入り、かつそれも今までの唐物の規範を大きく超えたものでした。
すなわち唐物天目茶碗の原則をどんどん発展させ、たとえば焼き物に施す釉薬は総釉となり、やがて文様が入り、形も楕円形のように変形させ、そして季節感も出てきます。
和物の扉を開いた楽焼の楽家も元は中国からの渡来人で瓦職人でしたが、千利休の指導のもと、今焼茶碗を創造するようになったとのことでした。(写真は会場横の茶室と茶庭)