『坂の上の雲』 読後感想文♪

(写真は司馬遼太郎記念館です→)

なんだか最近、ますます「36歳独身女子」が書く

日記内容からは遠く離れておりますが・・・(%とんかち%)(%痛い女%) (%ニヤ女%)

忘れないうちに・・・

『竜馬がゆく』を読み始めるまえに・・・(また更に遠退くヮ〜・苦笑)、

感想を思いつくままに羅列したいと思いま〜す(%笑う女%)(%晴れ%)

『歴史科学』という言葉が書かれていました。

戦争を科学する・・・

つまり、戦争を第三者的客観的に正しく認識する。

その難しさが書かれていました。

直近では、南京大虐殺・従軍慰安婦問題など、

A者とB者との解釈が正反対の歴史的史実もある訳です。

なぜ客観的に的確に認識すべきなのか?

それは、後世のためだからです。

「温故知新」するためです。

先日の日記にも書かせて頂きましたが、

同じ失敗は2度以上すべきでないと私は考えています。

1回目の失敗は、「成功への糧」なのですべきかと思います。

が、このようにあらゆる方法で歴史というものを知りますと、

「先人達が既に、あらゆる種類の失敗をしてくださっている!」という

ことに気づきます。

『歴史』とは、司馬さん曰く

「かつて存在した、何億という人間の人生が

詰め込まれている、“大きな世界”である」

そうおっしゃられています。

その“大きな世界”に対して、今生きている私たちの住む世界は

“小さな世界”なんだと思います。

ですので、歴史上で、何億もの先人達が

既に多くの失敗をして下さっている訳ですから、

その失敗を『1回目の失敗』として、先に学び、自分の経験として同化させて

その先人達の失敗を元に自分自身の言動や習慣、思考などを変えれば、

失敗というものをしなくなります。

私はこの失敗をしないプロセスを『苦難の先取り』と呼んでいます。

(私の場合、これに気付いたのは自身の四国歩き遍路行です)

多くの人たちは、何か大きな失敗をしたり、

大きな苦難や試練というものがやって来てから、

必死になって解決方法を探されます。

実は、先に、この先やって来るであろう、失敗・苦難に対する

解決方法を(山岳)修行や読書、人様からの情報などで、

的確に掴んでおきますと、

その失敗を小さく・・・すんなり回避出来るだけでなく、

失敗すら来なくなり、物事が成就するスピードがケタ違いに早くなります。

それに、この『苦難の先取り』を日常からコツコツやっておきますと、

自分だけでなく、自分の周りにいつ人たちの失敗・苦難すら、

解決出来るかも知れないという素晴らしい事柄が起きてきます。

「もしものために」お金を貯めるのと一緒で、

失敗や苦難を回避する、よりよい生き方の方法も、

併せてみなさまの心に、貯蓄して頂ければなって思います(%笑う女%)(%晴れ%)

次に、『先人に対する報恩感謝の念』というものを

めちゃくちゃ感じました。

日露戦争は、ロシア帝国(厳密に言うと、皇帝のニコライ二世)の

領土拡大という欲だけのために成された戦争であります。

日本からすれば、祖国防衛の為の戦争です。

そのために、多くの血が流れました。

みんな愛する家族のために死んで逝きました。

「幾百千の中の、“恩”の中で生きている私たち」

そんな言葉が、どんっ!と心の底に落ちた瞬間でもありました。

この戦争は、ロシアが負けるべくして戦争であります。

日本が強すぎた訳でなく、

ロシアが弱すぎた・・・いくら兵力・火力が多くても、

ニコライ二世や戦場のリーダー達が愚かであれば、

勝つ戦も勝てません。

さりとて、日本人がバカだった訳ではありません。

来るべき戦争のために、着々と準備を重ね、

作戦を練って、あらゆる根回しも日本全国・世界各国と行って来た訳です。

問題は、日露戦争に勝った後です。

勝ってしまい、日本人がテングになって、大部分がバカになってしまいました。

国家も、人間もテングになってしまえばもう『冬の時代』で、

ロシアの場合は革命が起こり、ニコライ二世は失脚、

日本の場合は、その40年後に起こった太平洋戦争で大敗です。

つまり日本は、内部から崩壊した・・・という側面もある訳です。

今を生きる私たちはその先人たちが起こした失敗を

今一度襟を正して、そこから謙虚に学ぶべきかと思われます。

本来、『神風』というものは、

秋山兄弟のような、一所懸命、必死で世のため人のためと

必死の努力を積み重ねているところに吹いて来る風(運)であります。

自らの名誉や、欲しかない人間の下に吹く風ではありません。

日露戦争が終った後、狂喜する日本人を横目に

秋山真之は、いよいよ全てが虚しくなって

「この戦争で亡くなった全ての人の霊を弔いたい」と

お坊さんになる決意をされます。

しかしながら、周りがそれを止めにかかり、結局ならずじまいで

49歳で病没されます。

真之の強い遺志により、息子・大が、無宗派のお坊さんになられます。

今も真之の御霊が、戦争で亡くなった全ての人たちを

弔い続けている・・・そんな感じがいたします。

「戦争(争い事)・・・人殺し(心殺し)はもうたくさんだ!」

そんな声が、黄泉の国から、生暖かい西風に乗って

聴こえて来るような気がいたします。。。

私たちは今、その先人達の想いに、

的確に応えられているのでしょうか。。。?

先人達の失敗を活かせず、

同じ過ちを繰り返し、迷走ている今の私たちの現状に、

なんだかとっても申し訳ない気持ちでいっぱいです。。。

一方、真之の兄・好古は、日本陸軍初の騎兵隊をゼロからつくり、

ロシアの最強騎兵隊「コサック隊」に対抗出来る部隊を運営。

日本陸軍の勝利(っていうか、陸軍の戦争結果は五分五分的)に

大いに貢献されます。

好古は、爵位を思い存分貰える業績を日露戦争で残したにも関わらず、

陸軍大将で退役した後は、故郷の松山に戻り、

無名の中学校の校長先生になられました。

家屋敷ですら、東京の家も、松山の借家も質素だったそうです。

好古が若いとき、東京に出てきた時の借家に、

真之が居候していた時期があったのですが、

その家にあるのは、お箸1セットと、茶碗1つのみ。

まず、好古がその茶碗で酒を呑み、終わると

その茶碗にご飯を盛って真之が食べる。その繰り返し。

茶碗をもう1つ買えない程、貧乏じゃなかったけど、

好古曰く・・・

「身辺は出来る限り質素(シンプル)であれ」と

真之に教育したんだそうです。

これは、余計なものを持てば持つ程、物事の本質が見えなくなり、

来るべき戦争にも勝てない・・・という

好古の『終始一貫』した考えだったとのことです。

私はこの好古の「不言実行」という言葉が、強烈に好きです。

「有言実行」は「言ったことは必ずする」という意味で、

有名な言葉ですが、

「不言実行」は・・・

「言わないけど、やるべきことはちゃんとする」という意味を持っています。

ほんと、カッコよすぎです。。。

私も好古みたいに、ますますステキに質素&シンプルに生き続け、

そして時が来れば(役割が終れば)潔くステキに逝きたいと強く感じました。

そして真之のように、常に情熱を持って、

感性を研ぎ澄まし、徹底的に己の使命役割を全うして、

与えられた命そ完全燃焼させたいです。

決してくすぶり続けて、終りません。

最後に、司馬遼太郎さんが

小学高学年向けに1987年書かれた

『二十一世紀を生きる君たちへ』をご紹介させて頂きます。

私のうる覚えですが、この文章を小学校か中学校の時

学校で習った記憶があります。

今の私がこの文章を見ると、何故か涙が出てきます。。。

下記サイトから拝借させて頂きました。

http://gogodiet.net/Forkids.htm

多くの先人たちと対話して来られた司馬さんだからこそ、

二十一世紀を生きる私たちに遺すメッセージは、強烈で、

今も強い光を放ち続けています。

ほんと、普通でいいから、ちゃんと生きていきたいです。

己を信じ、与えられた道をただひたすら歩み続けるしかありません。

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「二十一世紀に生きる子供たちへ」 

私は歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。
両親を愛するようにして、歴史を愛している。
歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生が
そこにつめこまれている世界なのです。」と、答えることにしている。

私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
歴史の中にもいる。
そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、
私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、
生きているようなものだと思っている。

この楽しさは、───もし君たちさえそう望むなら───
おすそ分けしてあげたいほどである。

ただ、さびしく思うことがある。
私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。
未来というものである。
私の人生は、すでに持ち時間が少ない。
例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
君たちは、ちがう。
21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、
そのかがやかしいにない手でもある。

もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、
どんなにいいだろう。
「田中君、ちょっとうかがいますが、
あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」

そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、
その「未来」という町角には、私はもういない。
だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
ただ、私に言えることがある。
それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。

昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
自然こそ不変の価値なのである。

なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、
水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。

さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
人間は───繰り返すようだが───自然によって生かされてきた。
古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。
このことは、少しも誤っていないのである。
歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、
自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。

この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
───人間こそ、いちばんえらい存在だ。
という、思い上がった考えが頭をもたげた。
20世紀という現代は、ある意味では、
自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。

同時に、人間は決しておろかではない。
思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。
つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。

このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。
ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、
20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、
古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、
21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。

「人間は自分で生きているのではなく、大きな存在によって生かされている。」

と、中世の人々は、ヨーロッパにおいても東洋においても、
そのようにへりくだって考えていた。
この考えは、近代に入ってゆらいだとはいえ、右に述べたように近ごろ再び、
人間たちはこのよき思想を取りもどしつつあるように思われる。
この自然へのすなおな態度こそ、21世紀への希望であり、君たちへの期待でもある。
そういうすなおさを君たちが持ち、その気分をひろめてほしいのである。

そうなれば、21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。
そして、自然の一部である人間どうしについても、
前世紀にもまして尊敬しあうようになるのにちがいない。
そのようになることが、君たちへの私の期待でもある。

さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。
右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。

人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。
やさしさと言いかえてもいい。

「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
「やさしさ」

みな似たような言葉である。
この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をして
それを身につけねばならないのである。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、
その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、
他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、
二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。

鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、たいせつにしてきた。
人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。
人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。
自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。
それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、
自己が確立されていくのである。
そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。

以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、
欠かすことができない心がまえというものである。

君たち。
君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。

私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。

※「21世紀に生きる子供たちへ」とは・・・
1987年、歴史小説家の司馬遼太郎氏が初めて子供、
特に小学生程度の年齢層を意識して書いた文章である。
文章は大阪書籍の『小学国語』(6年生、下)に収録された。
なお、この教科書は当時大型書店を中心に市販されている。