明治の教育機関「加藤弘之」

日 時 平成25年7月9日(火)午後の部で実施
場 所 明石市男女共同参画センター
主 催 (財)兵庫県芸術文化協会
講 師 茨木一成氏(日本歴史学会会員)
 加藤弘之氏は、(初代東京大学総長)で豊岡市出石町の出身
ですが、今でいうアンチキリスト派になります。 17歳の時
父に従って江戸に行き(甲州流軍学)を学んだ。甲州流軍学とは、
甲斐武田氏の戦術が理想化され江戸時代に完成された戦術の
事を指します。また、桜田門外の変の起こった万延元年(1861)東大前身の教授の手伝いに採用されます。幕府が各藩の指導者を養成するための御用学者として権威主義を伝え天皇統治の正当性を唱えた。加藤氏は外国が嫌いでイギリスやアメリカ等の外国には行かずドイツ学を極め、福沢氏は幕府が潰れるのを見るため、一方弘之氏は現状維持派の為の幕府派だった。
開成社では、福沢が頭が固いとからかった。
 また、1858年アメリカ海軍の軍人「マシューペリー」が開国を迫り、軍隊を伴って鎖国中の日本に来日したが、その当時幕府の大砲約1.8㎞しか飛ばず、一方ペリーの方は約4㎞も飛び、戦わなくても日本の敗戦は明らかだった。
 日本は賛成派と反対派といてバランスが取れたのかも知れません。