(写真:天然記念物のハマナスが自生する白兎海岸・鳥取市白兎)
2012年2月29日
「孤独死の現場で見たものは」
<残された遺品から故人の人生を知る>
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす、おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし、たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ・・・」(平家物語)。
「行く河の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくの如し・・・朝に死し、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける」(方丈記)。
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり・・・」(奥の細道)。
人類誕生以来の200万年を、ホームベースからバックスクリーンまでの距離、145mとするならば、日本人男性の平均寿命79歳の距離は、たったの5.7mm。
さて、自然の中に我が身を置いて、その姿を遠くから眺めたとしたら、ふとそんなことを想像する。一人の老人がゆっくりとした足取りで、あぜ道を歩いている。元気な子どもたちが老人の横をすり抜けて走り去る。やがて老人は身をよじって後を振り返る。
カミさんらしき婦人が野辺の花を摘みながら、前を歩く老人に何やら話しかけている。婦人の手にはレンゲ草で作った首飾りが握られていた。のどかな春の日差しを浴びながら、老夫婦はまた一緒にあぜ道を歩きはじめる。
2005年の11月末、「辞めたらアカン。休職届を出して、ここらで体を休めては」、カミさんの説得を振り切って、60歳の定年を待たずに会社を辞めた。私は意地を通した。58歳の時だった。早いもので、あれから6年が経つ。団塊世代の私も、この4月で65歳になる。あっという間の65年。5年後は70歳。人生七十、古来稀なり。将に、光陰矢の如し。
近頃、人の死を身近なものとして意識するようになった。一本のロウソクも、燃え尽きる前に輝きを増す瞬間がある。私も一人のオトコとして、斯くありたいと願っている。あと何年生きるか分からないが、やり残していることがあり、やってみたいこともある。人生の終わりから逆算して、それらに優先順位をつけて、直ぐにしなければならないこと、先ずは身辺整理から始めようかと思っている。
長引く不況の世の中で、社会とのつながりを断ち、孤立していく人たちが増えている。企業の利益追求が優先し、社員がまるで消耗品のように扱われている。リストラで職を失ったり、妻に先立たれたりすると、男性は社会から孤立しやすくなり、孤独死につながる危険性が高くなる。
男性に孤独死が多いのは、仕事中心の生活が大きく影響しているようだ。趣味や生きがいを持っている人ならともかく、家の外では話題がない。家族との会話も少ない。日々の生活も、「働く、寝る、食べる」のワンパターン。職場でも、毎日することが決まっているから、話す言葉も限られてくる。
一方女性は、日頃から地域とのつながりが強く、コミュニケーション能力が高いことから、男性に比べて孤独死が少ないと考えられている。しかし、今は働く女性が増え、男性と同じように一日中働く人が多くなった。そのため、地域と関わる機会も減り、孤独死に陥る女性も増えてくるのではと心配されている。
このように孤独死が増えてきたことで、各地に遺品整理専門会社が生まれている。遺品整理専門業とは、故人の遺品を取り扱う業種である。故人の家財道具を一つずつ、形見分けの品やリサイクル品に仕分けして、死の現場から搬出する。遺品の供養もし、部屋の掃除、脱臭までを請け負うのが主な業務。
1994年、29歳で運送会社を設立した男性は、引っ越しとリサイクル業を始めた。表向きは引っ越しの依頼だが、実は故人の遺品を処分したい場合が多い。ある時、客の一言で遺品整理サービス業を思いつく。「ここまでやってくれる人は神様に見える」。感激する依頼主の言葉に、これだけ喜んでくれたのだから、ニーズは絶対にあるとみた。読みは、当たった。
客が期待する以上のことをするのがサービス業と、2002年に遺品整理専門会社を立ち上げた。孤独死の現場では脳天を突く死臭が漂う。どんな仕事も断らなかった。死後何日も経った孤独死や餓死、そして自殺があった部屋に入ったこともある。死の現場に立ち会い、部屋に残された遺品を目の前にすると、ただ漠然と生きるのではなく、不況の世の中だからこそ強い意識を持って生きて欲しいと願う。
そこで、「誰も考えたことのないサービスを思いつき、お客さんが感動し、喜んでくれることが嬉しい」、と男性は語る。遺品整理専門業界をリードし、孤独死を防ぐための講演で全国を飛び回る、そんな男性を次に紹介させていただきたい。
(写真:茶花海岸から眺める夕日・与論島)—–>
『<フロント ランナー> 形見の品から見える絆と孤独』
遺品整理専門会社 キーパーズ社長
吉田 太一さん(47歳)
2012年2月11日付け朝日新聞より引用
故人の家財道具を一つずつ、形見分けの品やリサイクル品に仕分けして搬出する。遺品の供養もし、部屋の掃除、脱臭まで請け負う。2002年、そんな日本初の遺品整理専門会社を立ち上げた。これまでに数多くの死の現実を見てきた。ウジやゴキブリがうごめき、じゅうたんには腐敗が進んでしみ込んだ人の形の痕跡が残る。
死後、何週間も経った孤立死の現場では、脳天を貫く死臭が漂う。餓死や自殺があった部屋に遭遇することもある。それでも、「どんな仕事も断らへん」をモットーにしてきた。根底には、「お客が期待する以上のことをやるのがサービス業」という哲学と、パイオニアとしての自負がある。
遺品を扱う職業と聞いて、映画の「おくりびと」の主人公のような物静かな人柄を思い描いていると少々裏切られる。大阪弁で速射砲のように話す。あーして、こーなって・・・・・と、「商売」の構想を語り出すと止まらない。利発な印象は、生来の人なつっこさがうまく調和している。
大阪市生まれ。高校卒業後、地元で板前修業の真っ最中に、「東京に行きたい」と思い立ち、貯金を握りしめて上京。飲食店の店長やクラブのスタッフなど転々とする。結婚を機に大阪に戻り、大手運送会社に就職。その後、コンビニ経営をしようと脱サラするが、自己破産寸前に。1994年、29歳で運送会社を設立。引っ越しとリサイクル業を手がけるようになった。
遺品整理サービスを思いついたのはお客の一言。荷物の処分に困っていた客に、「こちらで引き取りましょうか」と持ちかけると、依頼主は目を丸くした。表向き引っ越しの依頼だったが、実は故人の持ち物を整理したかったのだ。途方に暮れていた依頼主は、「ここまでやってくれる人は神様に見える」と感激した。当時、「遺品整理」という言葉を耳にすることはなかった。ネットで探しても、業者は見つからない。「でも、これだけ喜んでくれたんやからニーズは絶対あるはずや」。
読みは当たった。「子どもがいない」、「遠方にいて長い間、仕事を休めない」など、依頼の理由は様々。ただ、核家族化や少子高齢化で家族のありようが変わり、身内だけで完結していた作業を他人に頼らざるを得ない人たちはたくさんいた。
依頼は右肩上がりに増えた。今や年間1500件以上を手がけ、売上高は4億円を超える。映画や小説のモデルにもなり、孤立死防止のための講演で全国を飛び回る。ただ、波瀾を乗り越えてきただけに浮かれることはない。世の行く末も冷静に見据えている。
社会のひずみとして語られる孤立死でも、依頼の大半は親族からだ。長い間疎遠でも、「死んだ後くらい、きちんとしてあげよう」と考える人がまだ多い。だからこそ遺品整理業が成り立つ。「でも、経済的にも精神的にも、さらに社会のゆとりがなくなれば、たとえ遺品でも全てゴミとして捨てればいい、という時代が来るかも知れません」。(立松 真文)
(写真:日本海に沈む夕日・青森県西津軽郡深浦町)—–>
◆「何歳まで生きるか目標立て、やるべきことを考える」
○<同業者は今や100社以上あるとか。そんななかで、キーパーズは、新しいサービスを次々と考えていますね。>
●相手はマネしているだけやから、同業者と思ってませんけどね。うちは、「クーパーズ」という事前整理を始めました。生前に自分の持ち物を点検し、遺品として残るものを確認しておくのをお手伝いするサービス。これを身内でやると、ケンカになる。「お母さん、こんなもん捨てっ!」と娘に言われたら、捨てようと思っていても捨てたくなくなる。キャッチフレーズは、「ケンカ防止のためのサービス」です。
○<多くの死の現場を見てきて、死生観は変わりましたか。>
●死は空気みたいに身近なものになり、恐怖心はなくなった。人は、いつか必ず死ぬのですから。でも、周りを見渡すと、ただ漠然と生きている人が多いと思うようになった。いつか死ぬのだから一生懸命生きよう、という意識が現代には希薄すぎると思います。
○<でも、元気な時から死を意識するのは難しいことです。>
●自分は何歳まで生きよう、と目標を立てたらいい。もちろん実際には、どうなるかわかりません。でも、まずは「ここまで生きよう」という設定を作り、やり残していることを考えてみる。例えば、あと10年生きるとすると、今のうちにやっとかなあかんこと、後でもできること、と優先順位が決まってきます。
(写真:赤穂御崎から眺める夕日・兵庫県赤穂市御崎)—–>
◆男女の違い
○<孤立死を防ぐための講演活動も積極的にしています。孤立死のほとんどは男性だとか。>
●男性の孤立死は、仕事中心に生きてきたことが大きな原因だと思います。サラリーマンには、仕事・寝る・食べる、のワンパターンの生活を送っている人が多い。食べる時と寝る時は、言葉は要らん。職場ではやることが決まっていて、話す言葉も限られる。
趣味を持っている人はともかく、家の外では話題が全くない。サラリーマンを長年やっていると、自分が気付かないうちに不器用になっていることがある。そんな人がリストラされたり定年退職したり、奥さんに先立たれたりすると、社会から孤立しやすくなるんです。
○<女性は違うと。>
●男性の会話は、「目的」と「結果」があることで成り立つケースが多い。だから、会話自体を楽しんでいるわけではない。女性は話すことでストレスを解消したり、楽しさを覚えたりする。コミュニケーション能力が高いんです。それと、子育てが一段落した瞬間から一日の空いた時間をどう楽しく過ごすかを考えて実践している。
ただ、今は働く女性が増えて、男性と同じように一日の大半を仕事にあてる人も多くなった。仕事以外の話題がなく、近所の井戸端会議に参加できないような女性もいるでしょう。いずれ女性の孤立死も増えてくるのではないかと危惧しています。
○<自分は孤立するかもしれないと思う人は、どうしたらいいのでしょう。>
●まずは孤立死の実態を少しでも知って欲しいと思います。ただ、自分自身が変わろうとしても急には難しい。例えば、若い人に自分の反省を語ったらどうでしょう。積極的に話しかけて会話して、俺たちみたいにやっていると困るから、趣味くらい持たないとアカンとか、挨拶くらいはきちんとしようとか、人間関係を面倒くさがったらアカンとか。
他人に助言した瞬間から、自分もその危険からスッと離れるんです。自分が教える側になったら、意識が変わる。助言する機会を作れば、孤立していく人生に歯止めがかけられると思います。
(写真:三里ヶ浜から眺める夕日・島根県益田市高津町)—–>
◆子への手紙
○<体験をつづった著書に、親の遺品の引き取りさえ拒否する「薄情」な子の事例もいくつか紹介されています。でも、吉田さんからは必ずしも批判的な視線は感じません。>
●確かに寂しいなあ、とは思いますけど。でも、何かあったんやろうなと。子が薄情になっていくのは、親に原因があるケースが多い。原因もなしに親にいきなり冷たくなるのは反抗期くらい。子はどこかで親をありがたいと思っている。そんな気持ちを超えるようなことを、親が起こしたんやろうと思うんです。
遺品を整理していて、ケンカ別れした息子宛ての手紙が見つかったりします。ケンカして、1年経ち、5年経ち、そのうち電話できなくなってしまう。言えなかった思いを手紙に書きためて、しまっていた。手紙を見せると、息子は、「そうやったんか。俺は、許してあげるチャンスも与えなかったなあ」と気付く。やっぱり、親を思う気持ちはずっとあるんですよ。
○<いつかは全く違う仕事もやってみたいとか。>
●誰も考えたことのないサービスを思いつき、お客さんが感動し喜んでくれることが面白いんです。キーパーズも、サービスを磨いて人に喜んでもらいたいという気持ちは強いけど、会社を大きくしたいわけではない。もともと自己破産寸前でしたから、今は出来過ぎです。
会社もあと10年は持つやろうけど、20年は分からん。その折り返し点を見誤ったらあかん。時代とともに終わるのが、一番いいんとちゃうかなと思います。(了)