『万里の長城と中国の国防史』

(%緑点%) 前期講座(歴史コース)(3月〜7月:全15講義)の第13回講義の報告です。
・日時:7月9日(火)am10時〜12時
・場所:すばるホール(3階会議室) (富田林市)
・演題:「万里の長城と中国の国防史」(第1回)
・講師:来村 多加史(きたむら たかし)先生(阪南大学教授)
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(%エンピツ%) 講義の内容
「万里の長城と中国の国防史」の講義は、2回にわたって行います。今日は、前篇で「春秋戦国時代から魏晋南北朝時代」です。

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春秋戦国時代【前770〜前221年】
[時代背景]
・550年もの間、中原(黄河中・下流域)を舞台に、覇権を争った「下克上」の時代
・戦国の七雄…燕、斉、韓、魏、趙、秦、楚
長城の建設
・前555年に斉国の国境に塹(ほり)が掘削される。
・戦国時代(前5〜3世紀)には、外敵に備えるために、戦国七雄の全ての国が長城を建設。
・北に接している燕・趙・秦は、異民族(匈奴や東胡)の侵入を防ぐ長城を建設。

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秦代【前221〜206年】
[時代背景]
・秦王朝は16年間と短かったが、中国の歴史で最初に全国統一した王朝。
《万里の長城と直道》
・六国を平定した始皇帝は内地の長城を撤廃する一方、北辺の長城を連接・強化し、朧西から朝鮮半島に至る「万里の長城」を完成させた。また、首都咸陽から九原郡までの全長1800里(1里=400m)の「直道」を建設。

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前漢時代【前206〜後9年】
[時代背景]
・前漢武帝は、積極的な対外政策。⇒北方の匈奴(きょうど)に対し、衛青(えいせい)と霍去病(かくきょへい)を派遣して征討。
《長城の建設》
・秦が建設した万里長城の外に幾重にも長城を築き、総延長7930kmの長城となった。2万里である。
後漢時代【25〜220年】
《長城の建設》
・中央集権体制が揺らぎ、長城経営を放棄(長城防衛はお金がかかりすぎる)。⇒防衛は長城防衛から拠点防衛へと転換した。
三国魏晋南北朝時代【3〜4世紀】
・魏・呉・蜀の三国が鼎立。魏王朝・西晋王朝はいずれも長城を建設しなかった。
南北朝時代【420〜589年]
・五胡十六国の乱世を勝ち抜いた鮮卑族の北魏王朝は主に山西方面の長城を修築。
・建康(南京)に都を置いた東晋・宋・斉・梁・陳の南朝は長城を建設することはなかった。

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*あとがき*
・長城は、最初は騎馬の侵入を防ぐ程度の簡単な土壁であり、異民族の侵入を防ぐというよりも、隣国からの侵入を防ぐ目的でつくられた。(辺境に点在する砦や見張り台を大ざっぱに繋いだものにすぎなかった。)
・戦国時代、北に位置する燕・趙・秦の諸国は、匈奴に悩まされ、北辺に長城を築いて侵入を防いだ。
・後漢の半ばごろには放棄され、三国時代には長城防衛は行われなかった。
・その後五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、漢民族は長江流域へと南下。(漢代長城より南寄りに新しく長城を築く)
・万里の長城は、修築・増築が繰り返される。今日見られるような煉瓦造りのものは、15〜16世紀、明時代に完成したもので、秦の長城より、ずっと南に後退している。